案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年11月7日木曜日

奥能登の蒸機列車

1972(昭和47)年の能登半島には国鉄七尾線(津幡~穴水~輪島)と国鉄能登線(穴水~蛸島)があったが、
第三セクターの「のと鉄道」になってから穴水~輪島間と穴水~蛸島間が廃線になっている。

1972年秋に車で能登半島めぐりをした頃は、半島は奥能登ブームであったようで半島外浦側は女性観光客が多かった。そして国鉄七尾線・能登線にはC11のふるさとSL列車「奥のと号」が走っていてC56の貨物列車もまだ走っていた。
wikipediaによると七尾線の蒸機は1974年まで走っていたことになる。


1973年(昭和48年)9月29日: SL「奥のと号」運転終了。
1974年(昭和49年)4月4日:蒸気機関車運転終了。
1988年 (昭和63年) 穴水~蛸島間が第三セクター「のと鉄道能登線」として開業。
1991年(平成3年)9月:和倉温泉~穴水~輪島が「のと鉄道」に経営移管される。

七尾能登線を行くふるさとSL列車「奥のと号」 輪島比良付近 1972.09.16

C11が牽くふるさとSL列車「奥のと号」

通りかかったC56の貨物列車.  輪島比良近辺
この時に見た C56123は七尾線を引退してから七尾市で動輪のみが保存されていて七尾市の解説によると「C56123は昭和16年に七尾線に配属されて以来昭和48年まで32年間走り続けてきた」とあるが、1966年に小諸で中込所属のC56123が動いていた。一時期小海線に転出していたのだろうか?

奥能登 外浦側の海岸線

2 件のコメント:

Namiki さんのコメント...

C56-123号機は、映画「父ちゃんのポーが聞こえる」に出てきましたね。この映画に感化された先輩に強引に引き連れられて、はるばる能登半島まで1泊2日の強行ドライブで行ったところ、お目当ての123号機は既に休車でした。ネット情報など無い時代、まだ稼働中という雑誌情報はリアルタイムとは言えないのでした。

間もなく新幹線も開通するという同地ですが、当時は国道を離れるとダートばかりで、ラリー車もあわやという走りにナビゲーターとして寝ることもできず、ぐったりと疲れた思い出だけが残っております。

katsu さんのコメント...

Namikiさん
七尾線のC56-123号機は映画の脇役として有名だったとは・・私は何も知りませんでした。123号機はこの写真の4ヵ月後1973年1月に踏切事故に逢い休車になり6月に廃車となったようですね。
それにしてもC56-123号機の経歴には何故小海線中込の所属がないのでしょうか不思議です。次回は小諸で撮ったC56123をアップしてみます。

はるばる能登までの強行ドライブは大変だったことでしょう。確かに国道を離れた海岸線沿いは細い砂利道でした。マイカー時代になっても当時はまだ地方の末端までは道路整備が進んでいなかったのでしょう。
鉄道では行けない能登の名所も今や整備された道路を車やバスが走る観光コースになった事と思います。