案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年12月24日月曜日

巨大軽便 駿遠線の新藤枝駅

東海道線の新藤枝から袋井まで何と60.7Kmも走っていた巨大軽便 静岡鉄道駿遠線。
1964年9月には堀野新田~新三俣間が営業廃止となり新藤枝側と袋井側に分断されてしまった。

1964年3月25日遠州鉄道奥山線の帰りに立寄った時は、まだ分断前で大手までの支線も健在で、新藤枝駅では次々と列車が発着し、これが軽便とは思えない賑わいであった。
新藤枝駅の3番線に発車待ちしている袋井行きのサボをつけた気動車を見つけたが、袋井まで60.7Kmも走破する巨大軽便もいよいよ路線の分断化を迎えていた。

1~3番線まであった新藤枝駅の光景はいかにも巨大軽便であった.
左の1番線が大手行、2、3番線が袋井方面行のホーム.

3番線の袋井行列車はこれから軽便線を60.7Kmも走る.新藤枝 1964.03.25

編成はキハD8+ハ12  新藤枝

この時は鉄仲間5人で、誰もがこの列車に乗って袋井まで乗車するかどうか迷ったが、乗車したのは一人だけ、あとの4人は天候に嫌気をさして東京へ引上げてしまった。もしこれに乗っていれば大変な体験ができたことだろう、ちなみに袋井までの所時間は約2時間。

大手~新藤枝~袋井まで線路が繋がっていた時代.

新藤枝駅の3、2、1番線ホーム

キハD7が牽く列車が発車して行く

大手行きのキハD10(旧赤穂鉄道 カ6)

ハ12
ハニ1
ハ114 (旧草軽ホハ30)
何に使われていたのか異色のDB606

駿遠線は車両のタイプ、台数が軽便としては桁違いで巨大軽便の車両写真を整理するのは容易でない。

5 件のコメント:

青蛙 さんのコメント...

懐かしい風景ですね。小生の姿も写っているのに驚きました。改めて軽便の活躍していた時代を新鮮なきもちで貴兄の写真から思い起こしています。

chitetsu さんのコメント...

駿遠線の双方のターミナルは随分と雰囲気が異なりますね。
どちらも魅力的ながら袋井の雰囲気が大好きです。
見ることの叶わなかった鉄道ですが、お写真拝見していると勝手に妄想が膨らみます。
せめてものということで、模型で蒙古の戦車を2台作って妄想の世界で活躍させております。

katsu さんのコメント...

青蛙さん、
皆まだ学生時代でほんとうに若かった。
この年の秋には東海道新幹線が開通し、激変の時代へ突入。
長閑な駿遠線の軽便光景を見てから、早いもので50年近くも経ってしまいました。
全員揃った旅もこの時が唯一だったかと思います。
貴重な思い出の旅でした。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん、
私も袋井の雰囲気の方が好きでした。
袋井はいつ行っても得体の知れない興味深々の車両がたむろしていました。
模型誌のchitetsuさん作品集で中越地方鉄道軽便軌道線で活躍する駿遠線のDB607と609を見たことがあります。
1/80と1/87という悩ましい二つの世界をきっちり分けて製作されているのが見事で羨ましい事です。

ねこあたま さんのコメント...

数年前まで相良方面のバスターミナルとなっていた藤枝新駅の跡地ですが、マンションの工事で
完全に駅を思い起こすものはは無くなってしまったようです。