案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年10月16日火曜日

沼尻鉄道の廃線直後2

沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)が営業休止した2ヵ月後の1968(昭43)年12月、社員旅行で磐越西線に乗って川桁駅を通過したことがあった。鉄道廃止は1969(昭44)年4月1日であり、この時に車窓から見えた沼尻鉄道は、車両や施設がそのまま凍結された運転休止中の光景であった。
この4か月後に沼尻鉄道は再開することなく廃止されてしまった。


磐越西線 喜久田     1968.12.15
郡山から猪苗代へ向かう途中の磐越西線、既にD50の時代は終わっていた.

磐越西線 安子ヶ島

中山宿を越えて川桁を通過中に車窓に見えたのは営業休止中の川桁駅光景であった.1968.12.15
運転休止中のボハ7+ボハフ1+ボハフ2の3両が休んでいた.
川桁駅のボハフ1+ボハフ2

2 件のコメント:

H.Kuma さんのコメント...

貴重な写真の数々、ありがとうございます。
小さな客車や駅構内の線路配置など、当時の様子が良く分かりますね。

沼尻は99年の晩秋に行きました。
例によって廃止される前には間に合わなかったくちです。
ガランとした川桁の駅前広場で「ああ、ここにかつて軽便の駅があったのだなぁ」と、昔の姿を偲びました。

緑のトンネルの区間は、私が訪問した季節は枯木のトンネルになっていて風景は明るかったです。
終点の沼尻駅構内跡は意外に狭く、そこにデルタ線があった事を想像するのは容易ではありませんでした。
駅舎は「沼尻観光開発」の事務所として残っていましたが、本来の駅舎の位置からは移動されていたようですね。

katsu さんのコメント...

H.Kumaさん
コメントありがとうございました。
沼尻鉄道の廃線跡から昔の光景を想像するのは確かに容易ではありませんね。
今も昔も変わらずは背景の山並みなど、そんな磐梯の風景を眺めて軽便を想像するのも楽しいかなと思います。
ここにナロー軌道があったと判る緑のトンネルにはもう一度行ってみたいものです。
いずれ沼尻鉄道の痕跡は何もかも消えてしまうのでしょう。