案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年5月19日土曜日

都電 魚藍坂を行く

最近、地下鉄南北線・三田線の白金高輪駅で降りて大通りを古川橋方面に歩いたことがあったが、
都電が走っていた魚藍坂は確かこの辺だった筈なのにサッパリ判らず。
いったい白金高輪の駅は昔の都電でどの辺りなのか? 魚藍坂はどこにあったのか?
現在の地図に昔の都電の経路を書いて都電を撮った位置を確認してみました。



五反田からの国道1号桜田通りは現在の地下鉄「白金高輪」駅のところで右に曲がり、その先で都道415号「高輪麻布線」と交叉する。ここが魚藍坂の交叉点で5、4系統は都道「高輪麻布線」に入り魚藍坂を下って古川橋に出た。

当時(昭42年)、国道1号桜田通りの片側3車線はここで終わり、右に曲がり片側1車線となる.
この片側3車線の道路を直進し古川橋へ下る道路はまだ出来ていなかった.
この交叉点の処に今の地下鉄「白金高輪」駅ができたのだった。 1967.12.03
地下鉄「白金高輪」駅ができた現在の風景. 2012年5月

 
桜田通りを進んで魚藍坂交叉点を曲がり都道「高輪麻布線」に入る5、4系統
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魚藍坂といえばカツミ模型店、店はこの魚藍坂の交叉点の近くにあった。

坂を下ったところが魚藍坂下で、その先の古川橋に開通直後の首都高速が見える.

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

魚藍坂界隈は割りと最近まで都電が走っていた当時の面影が残っていたエリアでした~そうそうカツミの店にも1度行ったことあります。
古川橋のデルタ線から魚藍坂・清正公での分岐までの曲がりくねった区間は山の手の都電の雰囲気満点でしたね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
昔からの魚藍坂の通りは、五反田から六本木へ抜ける巨大道路の裏にしっかり残っていたのですね。
都電が走っていたこの曲がりくねった区間は今回地図にしてやっと頭に入りました。
白金の山の手と下町の間の勾配と曲がりくねった道、そこを行く魅力的な小型車。
私はそれに気付くのが遅すぎました。

匿名 さんのコメント...

懐かしい写真ですね。同栄信用金庫(現、さわやか信金)の前のミヤイ書店も映ってます。ここの旦那が毎週、週刊誌や月刊誌を届けてくれていました。昭和30年代だったかもしれません。
今でもこの界隈に住む住人より。

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございました。
今年、魚藍坂の交叉点を歩きましたが昔のこの界隈のことはすっかり忘れてしまいました。
カツミ模型店があったことくらいが唯一の記憶です。
本屋さんが配達してくれた週刊誌や月刊誌とは何とも懐かしいですね。

匿名 さんのコメント...

高輪には祖母の家がありましたので懐かしいです
よく父親とカツミ模型店に行きました。
とても高価で1編成揃えるのに何十年かかるんだろうと思ったものでした。

今も健在ですがピーコックもありましたよね!!

katsu さんのコメント...

匿名さん
魚籃坂のカツミ模型店はたいぶ昔に移転していますね。
ピーコックは蒸機ではなくスーパーでしたか。
今でも交差点の近くにあるんですね。
今の模型は大変な価格でHO、16番で機関車1両で30万円、1編成になると軽く50万円越え、
今でも完成品は手の届かないところへ。