案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年12月23日木曜日

加賀温泉郷行きの電車 山代

山代温泉がある山代線の山代へ電車で向かうには、北陸本線大聖寺で山中線に乗るか、動橋で山代線に乗るか、二つの入り方があった。山代駅では本数が多い河南行きに対し、反対側の新動橋行きは本数が少なく裏玄関のような感じであった。この山代駅に山中線/山代線の車庫があった。

山代駅全景  1964.12.29 

河南行2連と、新動橋から来た準急河南行単行が並んでいる。 ↖河南側
ホーム待合室の側面に消えかかった「山代温泉」の文字がうっすらと見える。


車庫がある山代駅。


山代駅と、駅前の温泉町商店街の風景。
どこの温泉場も団体旅行で栄えていた時代であった。
加賀温泉郷は関西方面からの奥座敷だったのだろう。


対称的な山代線のローカルな1810形と、山中線のロマンスカー「くたに」


モハ1820形 準急 新動橋行

登場後2年の山中線 ロマンスカー 「くたに」 クモハ6001+クハ6051

中空軸平行カルダンドライブ、転換クロスシート採用の最新鋭車。
温泉客輸送に活躍した美しいロマンスカーであった。

素晴らしい解放感


 電動貨車 モヤ503

5 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

なんか動橋方面は冷遇されていた印象が否めません。
動橋はまがいなりにも特急停車駅なのに、少し離れた新動橋からの山代行は単行の旧型車…。お隣の大聖寺はロマンスカー…。まアこの事が、温泉客誘致をかけて大聖寺ー動橋の争いとなり、喧嘩両成敗の末、作見=加賀温泉駅に特急停車駅が集約されて共倒れとなるわけですが…。
国鉄駅から山代へは、新動橋からなら乗り換えなし、大聖寺からだと河南で乗り換えの煩わしさがあったのですが、河南からの電車は、ほとんどが一駅乗るだけの山代止まりでした。
観光客の流れを考えるとわからなくもないですが、なんか変に思いました。
せめて新動橋ー山代間に、単行でもいいから新性能車によるロマンスカーが運行されていたら少しは違ったのでは…? と、こちらも勝手な想像を巡らせています。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
山代線は変な路線でしたね、それがまた面白い。
動橋から山代温泉までは乗り換えなしで行けますが、どうみても国鉄特急を下車した動橋が山代温泉の入口のムードはありませんでしたね。新動橋から発車する山代線には沿線風景含めメイン街道から外れた路線を感じたものです。
その点、山中温泉や山代温泉に向かう大聖寺駅の方は温泉地入口のムードを感じたものです。

esehoku さんのコメント...

ブログ再開おめでとうございます。
心待ちにしておりました。

こちらにコメントしますが、またまた加南線ネタです…。
ビコムの「レイルレポート」には、廃線真近の加南線が紹介されています。
うらぶれた感じの新動橋の駅舍、庄付近と思われる踏切や、河南駅を大カーブで発車する単行電車が映し出されています。おそらく現存する唯一の、山代線の動画だと思います。
他にも、道端の軌道敷を行くしらさぎ号(道路を走るスクーターが追い抜いて行きます…!)など、加南線の全てを語っているかのような光景も映し出されています。
金石線•能登線も併せて紹介されていて、営業最終日の光景ですが、こちらもとても懐かしいです。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
ありがとうございます。
ビコムのレイルレポートは有料で見れませんでした。
動画に記録された加南線の情景はさぞ素晴らしいことでしょう。
北陸鉄道はどれをとっても風情溢れる路線でこれを纏めるのは大変です。
松本清張が好んで北陸鉄道とその沿線を取り上げたのも
やはり北陸独特の魅力に惹かれたのでしょう。

esehoku さんのコメント...

また、このページを読み返していますが…
北陸鉄道さんには、上田電鐵のまるまどりーむ号みたいに8800系を新・くたに号にアレンジして走らせるくらいの洒落っ気を期待しているのですが…。
くたに/しらさぎを大井川鉄道に身売りさせた事を、乗務員に詰め寄る人もいたらしいですから、温故知新、新しい北鉄でも評判になると思うのですが…難しいでしょうかね〜。