案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年12月9日木曜日

東野鉄道 廃線跡めぐり 黒羽

44年前に見た黒羽駅の光景や鉄道の沿線風景。あの時の12月午後の日差し、青い空に白い雲、遠くに望む那須の山々、那須おろしの寒風など、今も変わらぬであろう東野鉄道の空気を吸いに廃線跡を訪ねてみました。

黒羽へ向かう廃線跡  '10.12.8
廃線跡(道路)の先を右へカーブすると元黒羽駅に到着する。黒羽の町には那珂川が流れ、対岸に那珂川沿いに八溝山へ連なる山並みが続く。

茶臼岳を背景に大田原へ向かう廃線跡。 白旗城址前停留場はこの辺り。
反対側の大田原方面を見ると、日光から連なる那須の山並みが背景に。12月の那須おろしの寒風が吹くこんな風景の中を、1968(S43)年まで流線型キハ501気動車などが走っていた。

黒羽駅の農業倉庫 '10.12.7
元線路(道路)が右へカーブして黒羽駅に入る処にあった農業倉庫は昔のまま連なり、手前にある赤い屋根の倉庫は当時の「農業倉庫」の文字と紋章がそのまま残っていた。


買い物客で賑わうこの場所が黒羽の駅であった。


黒羽駅があったところ。
農業倉庫とプラタナスの木を基準に駅の位置関係をみると、右手のスーパ「さかいり」が駅本屋、道路が駅ホームそして線路、左手のホームセンター「コメリ」あたりが機関区があった位置と思われる。


44年前の黒羽駅。  1966.12.30


昼下がりの東野駅。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

よく訪ねられましたね、それにしても鉄道がなくなると殺風景ですね。黒羽駅前はどう変わったのでしょうか。線路がなくなるとただの風景ですね。それにしても隔世の感あります。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
鉄道施設は消滅してしまったが、当たり前ですがあの時の空気はそのままでした。
44年前にバスから見た黒羽~大田原間の素晴らしいロケーションはこの山並み背景の風景であり、この中を行くガソリンカーを想像して楽しみました。