案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年10月17日日曜日

栃尾線 悠久山駅での驚き

朝のラッシュ時間帯が終わると、上見附で見受けた客車の多くは悠久山駅の構内に
休んでいて、悠久山の留置線は、さながら古典車、珍品車の展示場のようであった。
下の写真のモハ211の前身が凄い。
残雪の越後の山並みバックに、モハ211が牽く編成。   悠久山 1964.3.22

朝のラッシュ時に活躍していた客車群。この後の近代化で淘汰された。  悠久山

悠久山の構内では元小坂鉄道の客車、元草軽電車の客車化、自社製のカマボコ客車など、
次々と目を奪われる珍品を見る事ができた。

ホハ30 (元小坂鉄道のハ10)。 同時にやって来た他の5両とは外観が異なる。

ホハ29 (元草軽の電車モハ102) この後サハ(303)化されて近代化に生き残る。


自社工場製のホハ20。 栃尾線の中で最も地べたを這うイメージで愉快なカマボコ客車。
もう一両の同型ホハ21は、何とモハ211(先頭の電車)へ変身している。これは凄い ! 

参考文献: 高井薫平著「軽便追想」

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

やはり今写真を見てもすごい鉄道だった、とおもいます。小坂から来た車両はどうなったんでしょうか。足回りを利用したのでしょうか。寒かったことだけ覚えています。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
小坂から来た例の客車5両は、台車のみが全て生き残ったんですね。それも新造車3両に!
さらに台車2両分と、元江の電、元草軽客車のクハ化、サハ化物語は驚きの経緯で、一覧表でも作らねば。