案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年10月18日月曜日

栃尾線 元小坂鉄道の台車1

小坂鉄道からやって来た明治40年製の古典客車5両の台車全てが、1964年3月の光景の後、様々な車両に活用されているとのことで、まずは元草軽ホハ23(当時は庫内で改装中)のその後(1975年)をネガで調べてみました。

前年(1963年)に来たばかりで車庫に留置されていた元小坂のアメリカン調古典客車5両。
その後まもなくして廃車になり、台車のみが活用されたようだ。
小坂鉄道の客車が5両入線していた。長岡 1964.3.22
これが明治40年製の客車のイコライザー式台車で、軸箱がデカイこと。
元小坂ホハ7の台車  加津保 1964.3.22

栃尾線で1台だけあった元草軽ホハ23は 栃尾ホハ26(S35年入線)→サハ305(S45年)→ホハ50となる。総括制御時代にサハになって生き延び、その後ホハに戻り廃線を迎える。

廃線(1975年4月)の一ヵ月前に長岡で撮ったホハ50(元草軽ホハ23)
ホハ50    長岡 1975.3.8
このホハ50の台車を見てみるとイコライザー式台車だか、これは元小坂ではなく、
草軽ホハ23元々の台車のようだ? 似ている箇所があるが、わざわざこんなカタチに
改造するとは考えられない。他の車両に履いている異様な台車?は元小坂の台車の
進化であったことが推測できる。
ホハ50の台車

参考文献: 寺田裕一著「消えた轍」3

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

小坂から引き継いだ車両の活用がよくわかりました。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
元小坂の台車の活用を19日にアップしておきました。廃線直前の訪問時には、他にも生き延びた珍品電車がありました。