案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年5月19日水曜日

井笠鉄道の神辺支線

軽便では有名な井笠鉄道。
1971年の井笠全線廃止に先立つ1967年4月、井原から国鉄福塩線神辺までの神辺支線が廃止された。訪問した1962年の夏には荷台付ボギー車ホジ7と、片荷台付ボギー車ホジ12が神辺線で元気に活躍していた。この神辺線は高屋~神辺間の神高鉄道と合併したもので、神高鉄道から単車の気動車ジ14~16を引継いでいる。

本線の終点井原駅を発車したホジ7の列車は、右へカーブして本線と分かれ神辺へと向かう。車庫の中には単車ジ16が休む。1962.7.30














国鉄福塩線と井笠鉄道が並ぶ神辺駅。国鉄に較べ軽便のホームの低さがよく分かる。軽便の低いホームに「井笠線のりば」の看板が見える。すぐ脇にはこの地方独特の白壁の建屋が。ホジ12は客車を付替えると出発していく。
















軽便の単車としては、大きく堂々としたジ14とジ15。
 神辺線廃止直前の「くじ場」車庫。1967.3.8

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

軽便風景、軽便の車過ぎし日のOld Good
Days。まだゆとりの持てた時代でしたね。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
よき時代の軽便風景は沢山撮ってあり、
これからいろいろと出しますよ。

井笠狂 さんのコメント...

初めて投稿します。私は神辺線の沿線、御領駅の近くに生まれ、18歳まで居りました(今年73歳)家の前約50mのところをガタゴトと走る姿は今でも、全列車脳裏に焼きついております。一番の思い出はC型コッペル7号とガソリンカー混合の引く朝、夕のラッシュ列車でホハを4~5両引き、軽便としては圧巻でした!昭和20年代前半は日車製の小さな単端が暇な時間帯とはいえ結構満員状態で走っておりました。狭い家にOnで再現しています。

katsu さんのコメント...

井笠狂さん
コメントありがとうございました。
井笠全盛期の貴重なお話は夢物語のようです。
軽便が元気であった時代の軽便体験を是非記録に残して欲しいものです。
私が始めて訪問した1962年は、神辺線も静かな終焉の時代で、その昔の繁栄が想像もつきません。

天神さんの桜 さんのコメント...

笠岡出身者です。
井笠鉄道線路沿い(西本町)に20歳まで住んでいました。このサイトを見つけてとても懐かしく思います。
42年前の廃止イベント走行や有人踏み切りの写真撮っています。
次回笠岡に帰省したら山口の記念会館に足を運びたいと思います。

katsu さんのコメント...

天神さんの桜さん
コメントありがとうございました。
笠岡で住んでいらしたのですか。
今では笠岡の風景も随分変わった事でしょうね。
瀬戸内海の笠岡と言えば山が迫った街の風景が目に浮かびとても印象に残っています。
笠岡は井笠鉄道があったせいで妙に憧れてしまいます。
井笠鉄道記念館の今を知りたいものです。