案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年8月14日火曜日

正月の京都市電 東山線1

今年正月にアップした厳寒の京都。
先日、コメントを戴いたデナ21さんはこの時代に京都市電「東山線」によく乗車されていたそうで
この時代に乗車されていた皆さんはもう還暦を済まされたとのこと。
今週はお盆でちょうど京都五山送り火を迎え東山では大文字送り火がまもなく。
夏はこんな大文字送り火を望む東大路通りを南北に走っていた京都市電「東山線」。
お盆とは正反対の厳寒京都の静かな昭和44年正月風景を
撮影順に東山仁王門あたりから北に向かってみました。


大文字山を見て東大路通りを走る東山線.熊野神社前-岡崎公園  1969.1.2 クリック拡大
疏水に架かる徳政橋を渡る

東大路通りを南進する715 ⑥系統 京都駅行.
岡崎公園前-東山仁王門で現在のバス停「東山二条」あたり

北進する709 ⑥系統 植物園行.   岡崎公園前

岡崎公園を過ぎた先の盛り上がったところで小さな橋(1枚目の画像)を渡る.
南進する922 ①系統 四条大宮行

熊野神社前の平面クロスに到着する.
南進する740 ⑥系統 京都駅行

京都市電 東山線 (高野 百万遍 熊野神社前 東山三条 祇園 東山七条 東福寺)

2012年8月4日土曜日

日本の国づくりを支えてきた石灰石輸送列車

八高線を走るD51が牽く石灰石輸送列車を見たあの1960年代後半は一体どんな時代であったのか、
財団法人セメント協会の日本のセメントの需要の推移 を見ると、ちょうど「いざなぎ景気」「列島改造ブーム」でセメントの国内需要・生産が急激に伸びている時代であった。

日本セメント(旧浅野セメント)埼玉工場が日高市に新設されたのが昭和30年。私が見たあの頃の八高線の石灰石輸送列車は、セメント生産増大の真っただ中にあって国づくりの一翼を懸命に担っていた光景であったということに。セメント国内需要はさらに1990年まで、生産は1996年まで伸び続けた。

その後、1999年に石灰石輸送がトラック輸送に切替わるまで鉄道輸送の時代が続き、高麗川から日本セメント(現太平洋セメント)埼玉工場までの専用線が石灰石搬入と製品出荷に使われていた。
この時の専用線の廃線跡が今でも見ることができる。

川越線に乗って高麗川駅を大宮方面へ発車すると
左に八高線、右に川越線、そして中央に工場専用線跡が見える. 2012.07.31 

高麗川から日本セメント(現太平洋セメント)までの専用線については
H.kumaさんの「太平洋セメント埼玉工場専用線」に素晴らしいレポートがあります。
H.kumaさんの地図によれば高麗川駅からセメント工場までの専用線は下記青線のルートであった。

セメント工場専用線

日本センメントの巨大な煙突に向かって延びる専用線.  クリック拡大

この専用線でよく見掛けた96の貨物列車.  1966.08.05

高麗川 1967.02.03

八高線 東飯能-高麗川 1967.02.03
八高線 東飯能-高麗川 1967.02.03

八高線金子坂を下り高麗川へ向かう石灰石輸送列車.  東飯能-金子 1967.02.13
背後に飯能の街を見て復路の金子坂を登る. 東飯能-金子 1967.02.13

青梅鉄道、南武鉄道の時代にさかのぼると、昭和6年に青梅鉄道から南武鉄道の浜川崎までが繋がり、青梅の採掘場から川崎工業地帯の日本鋼管、浅野セメントまで石灰石の一貫輸送が可能になっている。
1970年の頃はED16が牽く石灰石列車は浜川崎まで10本/日、拝島からD51に換えて高麗川まで8本/日あったという。製鉄とセメントに必要な石灰石を運ぶために集結したED16については別の機会にアップしてみたい。

2012年8月3日金曜日

高麗川駅の煙

現在の高麗川駅.昔 蒸機が煙を上げ休んでいたのはこの一角でしょう. 2012.07.31
枻出版発行「ニツポンの蒸気機関車9600」の中で西村光氏の「川越線郷愁」に当時の高麗川駅のことが判り易く解説されていたので引用させて頂きました。

1960年代後半、八高線の高麗川~拝島間で16往復、高麗川~寄居間で9往復、川越線の大宮~高麗川間で6往復の貨物と1往復の客車列車が設定されていた。高麗川駅では大宮機関区の9600、八王子機関区のD51、高崎第一機関区のC58及びD51のいずれかの蒸気機関車が常時煙を上げていた。

高麗川駅の一角.   1967.02.03
右手四角い詰所の今昔を見較べてみると、今もこの形の儘で残っている.

ターンテーブル、給水、ピット等があった一角で休む96とD51.  1966.08.05  クリック拡大

次の作業へ準備中の96.  1966.08.05

高めのデフを装着したカタチよい96

高麗川の一角で蒸機を支える人達.     1966.08.05
この一角にあったピットと給水塔、その先に詰所が. 1966.08.05
八高線のC58.   1967.02.03

2012年7月31日火曜日

今日の1枚 八高線高麗川駅

灼熱の八高線高麗川駅.  2012.07.31
前回の八高線金子~東飯能に引き続き、東飯能の先の山間を越えた次の高麗川駅まで行ってみました。

現在の八高線は八王子発川越行き電車がここから川越線へ乗入れて、八高線非電化区間の高崎行気動車はここから発車していた。昔の駅の貨物線や機関区あたりの雰囲気がまだ残っているような感じであったが、昔といってもあれから45年も経った遠い昔の事である。

1960年代後半、高麗川駅には八高線、川越線、日本セメント(現太平洋セメント)専用線と様々な列車がやって来て駅構内や周辺沿線は恰好の撮影場所であった。まずは当時の高麗川駅の風景と高麗川駅にやって来る列車の沿線風景を集めてみました。
高麗川の機関区に休む蒸機、日本セメント専用線と石灰石列車などについては次回以降に続けてみます。


昭和42年の高麗川駅. 列車はC58 D51が牽く「八高線高尾臨」  1967.02.03   クリックで拡大
今でも残っている地下連絡通路


96が牽くセメント工場専用線の貨物.  1965.05.30

八高線D51と川越線キハ35系の出会い.  1966.08.05


八高線石灰石列車の東飯能-高麗川間の山越え.  1967.02.03

川越線 東飯能発大宮行.  東飯能-高麗川 1967.02.03

川越線96の旅客列車. 武蔵高萩 1966.08.07


高崎発高尾行き節分列車「八高線高尾臨」が高麗川に到着  高麗川-毛呂 1967.02.03


2012年7月28日土曜日

八高線 金子~東飯能

金子駅から東飯能に向かうと、入間市の台地から飯能市へ下る金子の坂がある。うっそうとした丘陵地帯を下り、なだらかなカーブを左へ向かうと飯能市の桑畑や池のあるのどかな平地に出てほっとしたものだった。
青梅線拝島から高麗川(日高市)のセメント工場まで石灰石を運ぶD51貨物列車が走る平凡な八高線沿線風景の中で、この区間だけは変化ある風景であった。蒸機の中では平凡なD51であったが手軽に行けて蒸機の撮影が楽しめる八高線であった。



金子の坂の下に飯能市の平地が開ける. 1966.03.27


炎天下、金子の坂を登るD51重連貨物列車. 1966.07.28


石灰石輸送列車が金子坂を下り高麗川へ向かう.  1966.07.28


うっそうとした丘陵地帯の金子坂. 1966.07.28


桑のある畑や溜池がある飯能の平地.   1966.03.27
たまにC58の貨物列車も見る事ができた.

高麗川へ向かう石灰石輸送列車.  1966.03.27


入間川の鉄橋を渡るD51貨物列車. 1966.03.27

2012年7月25日水曜日

今日の1枚 八高線金子駅

八高線金子駅  2012.07.25
今日、用事で何十年ぶりかで拝島から八高線に乗り金子駅に降り立った。
八高線はとっくに電化され昔の面影はなく、駅前でスクールバスを待つ学生たちの華やかさに今の時代を感じたが、それも学生たちを乗せたバスが発車してしまうと昔と変わらない駅前の静寂があった。

昔、この金子から東飯能にかけてよく八高線を撮りにきたことがあった。もちろん駅で車両だけを撮るなんて事には全く関心がなかったが蒸機は別格であった。

金子駅を発車したD51重連が拝島方面へ向かう    1966.09.29



引き返してきた石灰石空車列車 金子駅 1966.9.29
前回→八高線金子駅界隈


石灰石列車が通過する箱根ヶ崎駅の風景  1966.03.27

八高線拝島駅での日常風景であった. 1966.03.27

2012年7月24日火曜日

三山線の終着駅 間沢

2012.7.24 公開

月山へ向かう途中に寄った間沢駅の風景。


モハ107   1971.05.03


モハ105→クハ化 これとは別に同形のクハ11がいる.
元西武多摩湖線の小型車101/1111形 2両が車体延長3扉化されて入線していた。


モハ101


電車が発車すると駅のホームは子供達の遊び場に.

2012年7月21日土曜日

最上川を北上する 左沢

米坂線の今泉を後にして国鉄長井線に沿って北上すると荒砥が終点となり、更に最上川沿いに一路月山へ向けて北上を続けると、山形から26Kmほど北西に引っ込んだ国鉄ローカル左沢線の終点左沢に到着した。左沢の5月は丁度花の満開シーズンで春の雪山に囲まれ最上川うねる風光明媚な素晴らしい土地であった。


蒸機の煙が立ち上るローカル風情溢れる左沢駅  1971.05.03


朝日連峰を背景にC11の貨物列車が左沢を発車する.


桜と雪山を眺め、素晴らしき東北5月のお花見




左沢構内のC11

月山へ向かう道は左沢線の羽前高松から出ている山形交通三山線に沿って走る.


左沢から山形交通三山線は近い.夕暮れ時の寒河江川を渡る三山線電車 1971.05.03