現在の高麗川駅.昔 蒸機が煙を上げ休んでいたのはこの一角でしょう. 2012.07.31
枻出版発行「ニツポンの蒸気機関車9600」の中で西村光氏の「川越線郷愁」に当時の高麗川駅のことが判り易く解説されていたので引用させて頂きました。1960年代後半、八高線の高麗川~拝島間で16往復、高麗川~寄居間で9往復、川越線の大宮~高麗川間で6往復の貨物と1往復の客車列車が設定されていた。高麗川駅では大宮機関区の9600、八王子機関区のD51、高崎第一機関区のC58及びD51のいずれかの蒸気機関車が常時煙を上げていた。
高麗川駅の一角. 1967.02.03
右手四角い詰所の今昔を見較べてみると、今もこの形の儘で残っている.
右手四角い詰所の今昔を見較べてみると、今もこの形の儘で残っている.
ターンテーブル、給水、ピット等があった一角で休む96とD51. 1966.08.05 クリック拡大
次の作業へ準備中の96. 1966.08.05
高めのデフを装着したカタチよい96
高麗川の一角で蒸機を支える人達. 1966.08.05
この一角にあったピットと給水塔、その先に詰所が. 1966.08.05
八高線のC58. 1967.02.03
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