案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年8月27日月曜日

庄内交通 七窪駅の風景

昭和35~38年の3年間を七窪から鶴岡まで高校通学していた方からコメントを戴き、あの七窪駅を思い出してみました。

終点 湯野浜温泉から善宝寺へ向かって歩くと次の駅が七窪であった。
日本海に近い松林に囲まれた七窪駅は、どんよりと曇った空と人気のない景色が印象的で、この日は海が荒れていて日本海から強い風が吹いていた。七窪の小さな駅には車庫と貨物ホームがあり、使われていない昔の2軸客車が寂しく置かれていた。

七窪駅を発車し善宝寺へ向かうモハ7. 1966.2.28  クリック拡大

モハ7は右手の松林の中へ消えて行った.

七窪の貨物駅の先に置かれていた2軸客車(明治37年製を改造)
ワ20+ハ12+ハ13

4 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

庄内交通はタッチの差で間に合わなかった鉄道です。
オリジナルの電車も京王から来た電車も実にいう感じすね。
廃線跡を二度ほど右往左往しては小さい電車が走る姿を目に浮かべました。
七窪の駅がこんなに荒涼としているとは知りませんでした。
それにしても走る姿を見たかったです。

katsu さんのコメント...

Chitetsuさん、庄内交通は電車といい、電車が走る土地といい、ほんとうに情緒溢れる鉄道でしたね。
七窪駅のこういう佇まいを模型にするのが私の夢ですが、chitetsuさんの手にかかればアッという間に完成でしょう。
chitetsuさんの中越地方鉄道には庄内交通のモハ8タイプがありますね。ツートンカラーも庄内と同じで惚れぼれしてしまいます。

H.Kuma さんのコメント...

katsuさん、こんにちは。
私、庄内交通は廃線跡ですらまだ訪れた事がありません。
湯野浜温泉駅等の昔の写真は時々見かけますが、七窪駅あたりもなかなか魅力的な風景だったのですねぇ。
ところで、Chitetsuさんのお名前はこちらで時々拝見していたのですが、まさかご本家だとは思いませんでした。
katsuさんのコメント「中越地方鉄道」でようやく気づいた次第でして… ありがとうございました。
Chitetsuさん、弊ブログにコメントいただきありがとうございました。

katsu さんのコメント...

H.kumaさん、湯野浜温泉行き電車は庄内平野の風景を想像しただけでゾクゾクきますね。
月山など出羽三山を背景に走っていた光景は地鉄電車の極めつけだったと思います。

Chitetsuさんのブログ、私もはじめは地鉄電車慕情ファンの方のブログだと思っていました。良く似たものを作るな~と。ところが後になってあのご本人であることに気づき驚きました。
Chitetsuさんはとても控えめで中越地方私鉄のことは全面に出さないようで、気付かれていない方も多いと思います。