案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年10月8日木曜日

昭和42年 良き時代の長野電鉄3

小田急やJRの特急車両、東急や営団のステンレスカーなどの中古車が入線してくるずっと以前の昭和42年、古豪電車や自社発注の美しい電車が活躍していた。「OSカー」0系も入線したばかりピカピカの電車であった。現在と比べるといかにも私鉄らしい華やかで美しい時代の長野電鉄であった。

撮影:1967.02.22  田辺多知夫

 2000系  夜間瀬 


2000系 須坂


クハ1550形 須坂

1100系 夜間瀬 


クハ1550形 須坂

「OSカー」0系 須坂

ED5001  須坂

ED5002

2015年10月7日水曜日

第11回 軽便鉄道模型祭2

軽便モジュール倶楽部 尾小屋鉄道 観音下の鉱山ケーブルの下を行く。

1970年11月

尾小屋も沼尻も鉱山鉄道であったが、それとは異質の旅客営業のない鉱山専用鉄道は私にとって未知の世界。こちらは色合いが一変する。2フィータの世界は興味深々で神岡や明延のような客扱いの客車(超珍品)が組み込まれると変化あって楽しいのだが。

Oナローモジュールクラブ  Oナロー2 12 1/48 鉱山機関車

 Oナロー2 12の下に並んだOナロー16.5mmがまとも過ぎに見えた。

2015年10月4日日曜日

第11回 軽便鉄道模型祭1

昨年は行けなかった軽便まつり、今年は行ってきました。
今年も素晴らしい作品の数々、とても全てを十分に見ることは困難で好みの旅客扱いの軽便鉄道からレポートしてみます。
毎度思うのですが軽便鉄道の作品を撮るとどれも実物以上に美しく見える、それは軽便車両のカラーリング、昭和の街並みの色、季節感あふれる樹木の色、そんな色合いと緻密に作り込まれた工作力で軽便鉄道の美しさが引き出されるのでしょう。

軽便モジュール倶楽部  尾小屋鉄道「郷谷川橋梁」 1/87 9mmナロー

軽便モジュール倶楽部  尾小屋鉄道「金野町夏の田園」

馬面電車の走る秋 ~福島電軌道ものがたり~  1/87 9mmナロー
12mmではなくNゲージの下回りを利用したところが凄いアイデアです。

昭和のジオラマの題材が溢れていた福島の軌道線.昭和39年夏

Oナローモジュールクラブ  草軽電鉄 落葉松沢駅  1/48 O番ナロー

Oナローモジュールクラブ  今回の注目のシーンだったのですね。
1/48 ナローのレールが美しい。

小茂内鉄道 山奥線  1/87 9mmナロー
TMSに発表されたあの思川鉄道のインパクトはやはり相当なものだったのですね。

2015年10月2日金曜日

昭和42年 良き時代の長野電鉄2

この時代の長野電鉄で活躍していたのは古豪電車だけではないのですが、好みの電車からアップしてみます。時代とともに改番が続いた形式番号調べは後回しとして。

撮影:1967.02.22  田辺多知夫

モハニではなかったモハ100形.信州長野

 モハ300形(302)   信州長野

モハ300形?

モハ100形?

モハ300形

モハニ510形(512)  須坂

モハニ210形(211)と並んだ昭和41年登場の「OSカー」0系.  須坂

 モハニも130形、200形、250形、210形、510形、530形といろいろ

2015年9月29日火曜日

昭和42年 良き時代の長野電鉄1

私が長野電鉄を片手間に訪問したのは1970(昭和45)年で、その時は長野電鉄の古豪電車が走る魅力が僅かに残されていました。その3年前の昭和42年に訪問した田辺さんのスキャン画像を見ると昭和45年とは違って良き時代の長野電鉄だったようです。この時代の僅か3年の違いは大きい。

昭和42年春で鉄仲間は解散し、私はもう地方へ撮りに行くことも滅多になくなったが、その後、田辺さんは昭和44年ごろまで地方を同じペースで撮り続けていたことが遺されたスキャン画像から判りました。私はこんな良き時代だった長野電鉄のことを何も知らずこの頃志賀高原にスキーに行って湯田中まで乗車したのに長野電鉄には全く無関心でした。
昭和42年2月 良き時代の長野電鉄を田辺さんが遺された画像から追ってみます。

撮影:1967.02.22 田辺多知夫

モハ1000形  夜間瀬

モハニ200形  夜間瀬 

モハ600形  夜間瀬

モハ600形
モハ610形   村山橋

2015年9月28日月曜日

越後交通 長岡線の電機

コメントで長岡線のスノープロウの話題が出ましたので、この時の長岡線西長岡の電機もアップしてみます。2月下旬、雪が少なかったせいか電機のスノープロウは外されています。

ED401 (相模鉄道ED10形と同タイプ)    西長岡  1967.02.23   撮影:田辺多知夫

 ED311 (東芝製標準機を模範にした西武所沢工場製)

電機代わりに使われていたのかモハ2001

そして同じ日の栃尾線でスノープロウを装着したモハ212   長岡

この頃は長野電鉄で活躍していたED5002  むらやま  1967.02.22

1975年の長岡線の電機は→地方私鉄の電機越後交通長岡線にもあります。

2015年9月24日木曜日

あの頃の飯山線

越後交通長岡線を訪問した昭和42年2月の田辺さんの足跡をネガから追ってみると、長野電鉄を撮ったあと飯山線を撮り越後川口に出て上越線で長岡に向かい越後交通長岡線(栃尾線は3年前に訪問済)を撮影していた。昭和42年あの頃はまだ地方私鉄も国鉄ローカル線も良き風景(車両)が残されていた時代であった。

C56の客列車  森宮野原  1967.02.22  撮影:田辺多知夫


 森宮野原


越後川口

長野電鉄  夜間瀬