案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年10月21日日曜日

ユネスコ村ゆき おとぎ電車

西武鉄道初代山口線は軽便蒸機で有名でしたが、私達年代の多くはユネスコ村の遠足で乗った「おとぎ電車」の思い出が強く印象に残っていると思います。山口線では蒸機や井笠客車だけにしか目が向かなかった私でしたが、兄のアルバムの中に最後の「おとぎ電車」の写真を見つけアップしてみました。

山口線さよなら運転の遊園地前駅には「蒸気機関車・おとぎ電車 さよなら記念ウィーク」の看板が下がり、ホームには「おとぎ電車」が見える。駅の屋根上には “おとぎ列車で15分 ユネスコ村ゆき おとぎ列車” の大きな看板が。思い出の「おとぎ電車」はさよなら蒸気機関車の影でひっそり消えて行った。
蒸気機関車・おとぎ電車 さよなら記念ウィーク」の遊園地前駅  1984年5月

遊園地前駅の「おとぎ電車」

さよなら「おとぎ電車」  遊園地前駅

楽しそうな子供達を満載した さよなら「おとぎ電車」  1984年5月
ユネスコ村遠足で乗ったのは確かこんな開放型客車だった。

さよなら蒸気機関車  遊園地前駅
 遊園地前駅

西武鉄道山口線の経緯
1950(昭25)年08月01日 遊技施設おとぎ電車 多摩湖ホテル前ー上堰堤間が開通
1951(昭26)年09月16日 おとぎ電車 上堰堤ーユネスコ村間の延長が開通 
                                 ユネスコ村開園
1952(昭27)年07月15日 地方私鉄に転換、山口線に改称
1963(昭38)年07月01日 多摩湖ホテル前駅を西武遊園地駅に改称
1972(昭47)年06月03日 頸城鉄道2号機「謙信号」の運行開始
1973(昭48)年07月05日 井笠鉄道からの木造客車が配属開始
1977(昭52)年09月23日 頚城井笠の蒸機に代え元台湾糖業公司の蒸機5型2両の運行開始
1979(昭54)年03月25日 西武遊園地駅→遊園地前駅と改称

1984(昭59)年05月13日 山口線さよなら運転
1984(昭59)年05月14日 山口線新交通システム工事着手

2012年10月16日火曜日

沼尻鉄道の廃線直後2

沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)が営業休止した2ヵ月後の1968(昭43)年12月、社員旅行で磐越西線に乗って川桁駅を通過したことがあった。鉄道廃止は1969(昭44)年4月1日であり、この時に車窓から見えた沼尻鉄道は、車両や施設がそのまま凍結された運転休止中の光景であった。
この4か月後に沼尻鉄道は再開することなく廃止されてしまった。


磐越西線 喜久田     1968.12.15
郡山から猪苗代へ向かう途中の磐越西線、既にD50の時代は終わっていた.

磐越西線 安子ヶ島

中山宿を越えて川桁を通過中に車窓に見えたのは営業休止中の川桁駅光景であった.1968.12.15
運転休止中のボハ7+ボハフ1+ボハフ2の3両が休んでいた.
川桁駅のボハフ1+ボハフ2

2012年10月14日日曜日

沼尻鉄道の廃線直後1

沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)が営業休止になったのが1968(昭43)年10月、その翌年1969(昭44)年4月1日に廃止となった。廃線により沼尻鉄道のことはすっかり忘れていた1969年11月に二本松から安達太良山へ登り沼尻側に下ったことがあった。沼尻鉄道が営業休止してまだ1年後のことであった。

安達太良山 沼ノ平の硫黄.1969.11.02
 硫化水素など有毒ガスの発生で大変に危険な一帯となった.


沼尻駅に索道で運ばれて来た硫黄は安達太良山西側で採掘された硫黄であり、安達太良山、沼ノ平、沼尻硫黄鉱山、沼尻温泉(沼尻スキー場)、中ノ沢温泉、と沼尻駅は一体どんな位置関係になるかを地図で確認してみた。
赤字の沼尻駅沼尻硫黄鉱山 はかなり離れていることが判る。そして沼尻スキー場も沼尻駅からはけっこう離れていて、あの頃の沼尻鉄道スキー客は駅からバスでスキー場まで登ったのだろうか。
沼尻鉱山と沼尻駅の位置関係.  登山コース ヤマコレより.
安達太良山沼ノ平の西側にある沼尻硫黄鉱山から沼尻駅まで硫黄搬送用の索道が通っていた。



安達太良山登山で沼尻温泉へ下山するつもりが道を間違えて着いたのは中ノ沢温泉であった。
この中ノ沢温泉はいかにも温泉らしい湯治場で街の一角に営業休止後1年の沼尻3両が鎮座していた。
廃材の中に埋もれた粗大ゴミ同然で、後にこの3両はお化粧直しして猪苗代町に保存されている。

温泉街の一角で廃材に埋もれた元沼尻鉄道の車両. 中ノ沢温泉街 1969.11.03
DC121と ボサハ13

廃材置場のボサハ13とボサハ12

ボサハ13

ボサハ12    中ノ沢温泉街 1969.11.03

保存車 DC121+ボサハ12+ボサハ13  猪苗代町    2003.11.22
この車体カラーはあの沼尻カラーとはどうもイメージが一致しない.


2012年10月1日月曜日

お知らせ

本日10月1日より不在になりますので
ブログ更新を10日ほどお休みいたします。 katsu



沼尻鉄道廃線跡  沼尻-木地小屋

2012年9月20日木曜日

井の頭線 吉祥寺駅

2010年4月に着工した京王吉祥寺駅ビルの建替え工事も早や2年半が過ぎた。
完成は2014年3月予定とのことで、最近は駅北口や中央線から井の頭線へ向かう連絡通路が迷路のようになって駅ビル建替え工事も佳境に入っている。

工事着工前の駅のこんな「今日の1枚」を良く撮っていたが、工事で良い撮影ポイントがなくなって最近はすっかり撮らなくなってしまった。駅ビルの完成で井の頭線のホームはそう大きく変わることはなさそうだが、時代の空気は少しずつ変化していく。駅に漂うそんな時代の空気を撮り続けてみたいものである。

週末の夜の吉祥寺駅 2009.01.31   クリック拡大


姿を消した3000系   2009.01.31

昼下がりの私鉄ターミナル駅  2008.04.11

2012年9月18日火曜日

西国立にあった立川機関区とED16

南武線の西国立駅の脇にあった立川機関区。1963(昭38)年に立川機関区を訪問した目的は0番模型でお馴染みだったED16を撮影することであった。

ED16は、1931(昭和6)年から18両製造され中央線や上越線で活躍し、一部は関西の阪和線にも配属されたが1970年頃までに全機が立川機関区に集結したそうで、青梅線・南武線で活躍していた姿をよく見掛けたものだった。
奥多摩で採掘された石灰石を浜川崎(第一セメント、日本鋼管)や高麗川(第一セメント)まで運ぶ 日本の基幹産業(セメント・鉄)を支える重要な輸送ルートが青梅線・南武線そして八高線であった。
この石灰石輸送列車の牽引を担ったのがED16で、1970年の青梅線奥多摩~南武線浜川崎間では
1日10本も運転されていた。(運転本数はRMライブラリー 鶴見貨物線回顧より)

ED16引退のお別れ列車. 東青梅-河辺 1983.03.20  ED16は3月27日で廃止となった

昭和38年の夏休み明け9月の日曜日、休日の川崎工場地帯の専用線めぐりを国鉄電機撮影に急遽変更し渋谷から西国立へ向かった。事務所におことわりすると簡単に許可が下り、この日のED16とED27の運用を詳しく説明して頂いた。それにしてもこの立川機関区の人達は皆親切で実にありがたかった。

南武線西国立駅の脇にあった立川機関区.  1963.09.08
現在この辺りには巨大なマンションが立ち並んでいる.
南武線西国立駅の脇にあった立川機関区

ED1616

庫内に休むED16群



2時間ほど待ってやっと帰って来たED2714.南武鉄道向けに4両製造された日立製電機




ED2714とED167



親切にして戴いた機関区の皆さん

2012年9月16日日曜日

秩父鉄道 熊谷駅の古典電機

東武熊谷線のブタ鼻気動車がいた熊谷駅ホームの向こう側が秩父鉄道で、そこには現在の電機デキ300やデキ500などよりずっとバラエティに富んだ楽しい古典電機がいた。行っておいてよかったこの時代の秩父鉄道。この1回しか行ったことがない秩父鉄道。
(車両の解説は秩父鉄道-Wikipediaから引用)


クハ600形+デハ500形 と ED381     熊谷  1965.05.30 クリック拡大

デキ7  1977年廃車
1925年(大正14年)、秩父セメント(当時)秩父工場の操業開始に合わせてイギリス・イングリッシュ・エレクトリック(デッカー)で製造されたデッキ付き箱形B-B機。同型車は東武鉄道(ED10形)にも存在した。

デキ3  1984年廃車

デキ1 1988年廃車
1922(大正11)年に同鉄道が電化されたことにより、それまで蒸気機関車に頼っていた石灰石輸送を電気機関車に転換するため、デキ1 - 5の5両がアメリカのウェスティングハウス・エレクトリックで製造された.

ED381  1988年廃車
日車1930年製で阪和電気鉄道ロコ1000形として製造され、国有化後1952年に改番されて国鉄ED38形電気機関車となり、1959年に秩父鉄道へ譲渡された。

デキ102
秩父鉄道デキ100形電気機関車は、第二次世界大戦後に日立製作所が日本各地の私鉄や専用線に供給した50t級電気機関車の一つで、デキ101、デキ102 - デキ106、それにデキ107・108の3グループに分類される。

デキ201.  非電化国鉄八高線と並走する石灰石輸送列車
東京オリンピックの前年1963(昭38)年の建設ラッシュでセメント需要が増加したことから3両(デキ201 - 203)を日立製作所で新製した。デキ100形に較べモータ出力を増強。車体はデキ100形と同様の前面に貫通扉を設けたデッキ付きの箱形車体であるが、丸みが増して前面窓が上下方向に小さくなり、窓上にヒサシがついた。また前照灯が2灯になって大型のライトケースに納められている。

2012年9月12日水曜日

東武熊谷線のブタ鼻気動車

東武熊谷線の気動車キハ2000形は1954年東急車両製造で熊谷線向に3両が製造され当初はコバルトブルーとクリームの塗分けだったそうだ。数年後これとほぼ同型車が東急車両製造で加越能鉄道向けに2両製造され、これが鹿島鉄道へ転出しキハ431と432になっている。
1981年廃線間際に見たあの熊谷線のキハ2000形は、魅力溢れる鹿島鉄道の金太郎塗りキハ430形に較べ何であんなにブサイクだったのか?
熊谷線キハの1965年と1981年の違い、そして鹿島鉄道のキハと比較してみました。

東武熊谷線キハ2003  熊谷 1965.05.30  クリック拡大
熊谷線と秩父鉄道羽生方面行のホームがつながっている.
美しいヘッドライト、そしてツートンカラー(当時の色は不明)、
鹿島鉄道の金太郎塗りキハ430形に劣らない魅力溢れた時代があった.

ブタ鼻ヘッドライトに改装後のキハ2000形  妻沼  1981.07.17
1970年代中頃に塗装がクリーム一色となる.
やはりヘッドライトとカラーリングで車両イメージは一変してしまう.


美しい鹿島鉄道キハ430形
鹿島鉄道 キハ432+431   2007.03.31

鹿島鉄道 キハ431 2007.03.08

鹿島鉄道 キハ431+432   2007.03.31    クリック拡大

2012年9月1日土曜日

真夏の片上鉄道3 片上の蒸機

昭和37年の訪問時に片上鉄道に在籍していた蒸機はC11×3両、C12×2両、C13×2両の計7両であり、C11とC12は国鉄と同じだが払下げではなく民鉄向けに製造された蒸機である。
C13は一見C11によく似ているが元はテンダー機であった経歴に興味深いものがある。

このC13は石原産業向けに製造された日車1Cテンダー機をタンク機に改造して片上鉄道に入線したことは良く知られているが、臼井茂信氏の「機関車の系譜図3」によれば、この石原産業向1Cテンダー機は樺太鉄道向けの亜流とある。片上C13の原形に近いと思われる樺太鉄道向7720形の写真を見るとテンダー機にしては動輪径が小さく、これと較べるとC11やC12は実に堂々とした動輪周りに見える。

C13-51  片上  1962.07.28

和気


片上

C12(上)と比較したC13(下)の動輪周り.C12動輪径1400φmmに対しC13は動輪径1250φmmと
径が小さい分こじんまりとしている.

C12-202と201. 201は自社発注で、202は大井川鉄道向けに製造されたもの

庫に休む C11-103
C11-101~103の3両を自社発注した民鉄向C11.