案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年4月23日火曜日

福島交通 飯坂温泉行きの電車2

福島交通は軌道線の数々の名場面が有名ですが、その陰に隠れて地味なのが福島と飯坂温泉を結ぶ飯坂線。1964年に田辺さんが撮影したのどかな夏の風景です。

撮影:田辺多知夫 1964.7.27
この1964年夏の電車はオーソドックスな地方私鉄電車で好ましい風貌であった。窓は全開でいかにも夏らしい。このモハ1211を2年後に見た時はヘッドライト脇に2灯が追加されおかしな顔つきになっていた。

S38年新製の2扉連接車 デハ5012+5013   

何の変哲もない風景を行くモハ1208。

クルマのいない県道と果樹園を見て走るモハ1208。この2年後、1208も同様にヘッドライト脇に2灯が追加され新カラーリングになっていた。下の写真

2年後に私が訪ねた時のモハ1209と1208 曽根田 1966.12.31 撮影:風間
不細工な顔つきになっていた。

モハ1205の旧カラーリング 曽根田 1966.12.31
飯坂線にまるで模型のような電車がいた時代.

以下は田辺さんの番外編

飯坂線の終点飯坂温泉の街の片隅にあった湯野町から出ていた軌道線.
茂みの小川と木立とトロリーラインの組合せが堪らない.


4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

今も健在の飯坂西線ですが、昔からわざわざ訪ねてみる気にならない電車ですね。
きちんと記録されてらっしゃるのに、頭が下がります。

匿名 さんのコメント...

今は旧東急車ばかりになり、沿線にもびっしり家が建ち並ぶ福島交通鉄道線(飯坂線)。そこにもこんな長閑な光景が広がっていたのですね。ことに1灯時代の1200形には驚きました。こんなにスタイルが良く、また塗装もマッチしていて、思わず模型化したくなる車両だったのですね。私は2灯化後の1200形しか知らず、何ともダサい電車だと思っていました。しかし過去の姿を拝見し、そのハンサムな姿に誤解が解けた思いです。また3灯(1→2灯化工事中)時代の貴重なお写真を拝見し、思わず感謝の投稿をさせていただきました。同車はかつての東武1700形のように、腰部2灯化(増灯)をしていれば、さほどスタイルは崩れなかったと思います。しかし福島交通では、5000形(初代)連接車に合せたかったのでしょうね。貴重なカラー写真と、さらに軌道線(飯坂東線)のお写真などを添えて頂きまして、重ねて感謝申し上げます。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
この鉄道線もいずれ消えてしまうのだろうと軌道線訪問のついでに訪問したのは、
後で後悔しない義務感からでした。
私が訪問した1966の時代の2年前はまだ車両に魅力があったのですね。
昔から注目されることのない路線でしたが、ほんの僅かに光るものがありました。

katsu さんのコメント...

匿名さん
昔の飯坂電車に喜んでいただけたようで有難うございます。
あのカラーで撮った小さな電車1205はハーフサイズのネガに長いあいだ眠っていたものです。
2011年11月にブログ用にスキャンするまでその魅力に気づきませんでした。
1205と1204が居ましたが現役も最後だったのでしょう。
私は作らないくせに模型で作ってみたくなる気持ちが湧いてきます。

これ以外の電車のライトは1灯→3灯→2灯と次々顔つきが変化していきましたが、
3灯時代がもつともみにくい姿であったと思います。
改めてこの路線のネガを見直してみようと思っています。