案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年4月5日金曜日

尾小屋の残影2

こちらはすべて35mmフィルムで撮影です。

新小松へ向かうキハ2の単行は各集落から少しづつ客が乗車し新小松近くなると超満員となった。明日は大晦日で仕事も休みで正月の買い物に出かけるのだろう。

新小松にある車庫に到着して訪問記はこの線路図で終わっていた。例によってこの後をビッシリ書こうとノートに空白を残してあるのだが50年間そのままで記憶も消えてしまった。この日は小松にもう一泊せず後金沢へ向かったので、車庫では5号機のこと以外で書き留めるようなことも無かったのだろう。

 撮影:1964.12.30
美しい加賀の山並みを背景に尾小屋からやってきたDC122+ワフ4+ホハフ3+ホハフ6
 新小松-西吉竹

ホハフ3とホハフ6  新小松

発車待ちのキハ2。 ナローの線路の向こう国鉄貨物線に貨車が停まっている。新小松

新小松に到着すると昼食も抜きにして昨日約束していた通り奥から5号蒸機を引き出してもらった。光線状態も良好、気の済むまで同じような写真を撮り続けた。立山重工製の蒸機は産業機関車ふうだが貴重なナローの蒸機であり大満足。尾小屋鉄道の人は親切で欲しくて堪らなかった車両竣工図集まで頂戴した。

ボンネットバスが並ぶ車庫のすぐ脇を走る北陸本線「雷鳥」

中々魅力的なホハフ3。 新小松

ワフ4

 キハ2が5号蒸機を引き出しているところ。上の写真が表に出てきた5号機の姿。

6 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

廃線2年前の昭和50年の冬に、新小松からキハ1で遊園地前まで行きましたが、雪こそ降らなかったものの、北陸特有の、暗く重く垂れ込めた曇り空だった事を憶えています。
新小松を出た後は、並行する北陸本線と分かれて左へカーブするまでがやたらと長く、その間車庫やら給油設備やら、オイルの匂い、適当に置かれた車輌、あちこちに張り巡らされた引込み線?が、軽便特有の(箱庭的というのでしょうか)、小さくとも一通り設備が揃った、立派と言って良いのか貧相と言うべきなのかわからない、奇妙な感覚でした。
尾小屋もまた、北陸の雪景色に良く映えるツートンカラーでしたね。もっと乗っておけばよかったと思いますが、その時分はまだ◯学生でしたから、時間もお金も自由度が少なかったから、それで遊園地前までになってしまいました。
同じ事を、京福の福井から「追分口」までやりました。確か当時は100円でした(何となくキリが良かったんです)。

にぶろく さんのコメント...

写真から推測すると
5号機を庫内から引き出したのは
キハ2+ハフ3+無蓋車の編成だったという事でしょうか?
それは凄い力技ですね(笑)

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
その通りです。
キハ2+ハフ3+無蓋車で5号機を牽き出した時の写真に入替えました。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
訪問は昭和50年の冬でしたか。
遊園地前までの往復乗車、それは大変貴重な体験になりましたね。
私の中高校生時代は全く軽便訪問はできませんでした。
カメラ持ってなくなても近場の九十九里鉄道だけは訪問し
乗車体験しておけば良かったと今でも悔しい想いです。

にぶろく さんのコメント...

遊園地前は今でいうところの「秘境駅」
降りるのは鉄ヲタしかいませんでした。
私の仲間もわざわざ遊園地前で降りたことを
自慢していました。
esehokuさんも狙いで遊園地前まで乗ったのでしょうか?
途中で折り返すなら、金平の方が良かった気がします。

esehoku さんのコメント...

この場をお借りして失礼いたしますが、にぶろくさん…
狙いでも何でもなかったんですよ。予備知識もなく、「こんな軽便の田舎町にどんな『遊園地』があるのだろう?」と興味を抱いたのと、ただ単に時間の都合と乗車賃のキリが良かっただけでした。
鉄ヲタもまだ押しかけない頃でしたから、車掌さんから「本当に降りるんか?」みたいな事を聞かれたようにも記憶しています。
当然、降りたら唖然としましたね…!
今では良い思い出です。