案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年4月13日土曜日

中島飛行機専用鉄道の跡

青梅街道が西武新宿線と田無で立体交差する手前にひっそりとある小路。青梅街道を田無に向かって歩いているとつい気になってしまうこの小路。先日もまたこの中島飛行機専用鉄道の跡を歩いてみた。武蔵野市の中島飛行機エンジン工場と田無谷戸の鋳鍛工場を結ぶナロー専用鉄道。一体どんな車両が走っていたのだろうか。

西武新宿線と青梅街道の立体交差 田無  2019年4月

 立体交差の手前にひっそりとある小路

奥へ進むと新宿線の下を小さなトンネルで抜ける

かっては武蔵野市から西東京市にかけて軍需工場が多く、戦時中は爆撃や集中砲火を浴びた悲惨かな時代があったそうだ。跡地の今は静かな住宅地や公園になり、そんな昔を忘れてしまうほんとうに平和な時代になったものです。
中島飛行機武蔵野工場は有名な誉や栄エンジンを製造したところですね。

田無駅 2018年4月

2 件のコメント:

H.Kuma さんのコメント...

ご無沙汰しております。

ここ、いかにもいわくありげな小路ですよね。
鉄道連隊が敷設したらしいので、おそらく連隊所属の機関車が軽貨車を牽いていたんじゃないかと思います。
線路は軌匡だったようで、沿線住民のかたの証言も出ているらしいですね。

既にご覧になっているかと思いますが、米軍の地図がこちらに。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/txu-oclc-6549645-06.jpg

katsu さんのコメント...

H.Kumaさん
こんにちは、お久しぶりです。
多摩地区の廃線跡は、いつもKumaさんの廃線レポート/関東西部編を拝見し、
参考にさせてもらっています。

米軍の地図をありがとうこざいました。
以前、田無でこの地区の戦災パネル展があり米軍の地図をいろいろ見たことがあります。
住友重機のところとか中島飛行機へ向かうところなど、軌道の形跡を歩いたことがあります。
現在の実に平和な住宅地が、戦時中は軍需工場の密集地帯で悲惨な集中爆撃を受けたことに驚いたことがあります。