案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年8月13日日曜日

昭和44年の高知市街

田辺さんの高知駅前の1枚を見て、まだスキャンしていない高知市街のネガを思い出しました。

日本は高度成長期の後半、増産増産の工場は公害垂れ流し、クルマは一気に増え、1960年代も終わりを迎えていた。寅さん映画でよく見る懐かしい日本の風景(70年代)がスタートする頃であった。あれから48年もの年月が過ぎた。

古い時代を感じさせる高知駅前の1枚。1969.2.22 撮影:田辺多知夫氏

以下はその3ヵ月後 1969.5.5に私が撮った高知市街。

高知駅前と市中心部の「はりまや橋」を通って桟橋通五丁目を結ぶ桟橋線に単車300形が次々とやってきた。桟橋線 はりまや橋

桟橋線 はりまや橋

後免線知寄町行き。

高知城が見える市街。

鏡川を渡る桟橋線。

桟橋線の終点 桟橋通五丁目。対岸の工場地帯は大変な公害。この1枚のみ再掲。
 

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

いつもながら素敵な街&鉄風景ですね。撮影時期が昭和44年ならその1年前に高校の修学旅行で播磨屋橋や桟橋線を撮影しています。単車が大活躍する一方で連結運転の安芸線直通も走っていたという魅力的な時代でした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
この時代に旅行された方は多いようです。
高校の修学旅行でしたか。
どこの名所へ行っても電車のことが気になって落ち着かなかった事でしょう。
自由時間は仲間から抜け出して電車の写真を撮りに行ったのですね。