案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年8月7日月曜日

富士急&富士山2

撮影:田辺多知夫氏

昭和44年まだこんなのが走っていた! 番号が読めません。改装前の500形か?   1969.7.19
いや、ツートンカラーのモハ507,508をこの年に改装したモニ100形101,102かも知れない。

富士急といえばお馴染みの3100形。 1964.11.3

秋の田園風景と3100形。三つ峠-暮地 1964.11.3

50年後の大カーブ。田畑はそれほど宅地化されていなく浅間神社の森は昔の面影を良く残しています。三つ峠-寿(旧暮地) Googleアース画像は暫くして消去します。

3100形 1964.11.3

3100形 1964.11.3

片運3630形 1964.11.3
  
3100形  1969.7.19

3100形 1964.11.3

両運モハ3600形2連が貨車を牽く。1966.2.14

昭和44年夏の3度目の富士急は田辺さんの愛車初代サニーで行ったのですね。鉄仲間の青蛙さんが一緒でした。私は鉄撮影をやめていた頃だった。三つ峠-暮地 1969.7.19


2 件のコメント:

なと。 さんのコメント...

ご無沙汰しています。
最初の3枚の場所がよくわからないですが、それ以外は三つ峠~暮地での撮影ですね。
数年前に何度か通い、大カーブを俯瞰できる場所へも登りましたが、あの辺は猿の大群が居てちょっと怖かったです。

katsu さんのコメント...

なとさん
ご無沙汰しております。
あの大カーブは三つ峠駅の先にあるSカーブでしたか。
早速Googleアースで確認し、現状の画像を貼りつけてみました。
田畑は一面宅地化されていると思ったらそうでもなかったです。
背後の山へ登っていく道沿いに住宅がかなりあるのが意外でした。