案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年8月16日水曜日

昭和44年の高知 桟橋線

街を行く路面電車の写真は、前方後方斜めからの1パターンになりがちで、そうなると飽き飽きしてくる。それらを排除して最少限とし、大きめの画像にしてみました。路面電車は時代を感じさせる風景がどれだけ写っているかが面白さだと思います。懸命にクルマを避けて撮った殺風景な路面電車は使い物にならない。そんな写真がなんと多いことか、時代が分かるクルマは決して邪魔ではなかった。

桟橋線 昭和の風景 1969.5.5 ワンパターンの1枚

桟橋線 戦後を感じさせる広々とした道路。

  桟橋線 桟橋通三丁目

桟橋線

桟橋線 はりまや橋

桟橋線

桟橋線 桟橋通五丁目


友人の友人宅に泊めてもらった朝の記念写真。

2 件のコメント:

ねこあたま さんのコメント...

桟橋線ですが、今から20数年前は大阪に向かうフェリーが就航してこともあり、
あまり町はずれという感覚は無かった気がします。桂浜等への延長という話も
あったようですが立ち消えになったのでしょう。

はりまや橋のあたりは西武もあり、土電のバスターミナルでしたが撤退後は
どうなっているのでしょうか。

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
桟橋線の終点近くは今でも当時の面影をよく残しているようですね。
何もない終点の位置は桂浜に比べれば遥かに高知中心部に近いのですね。
ここが街外れではないのは位置的にもその通りと思います。