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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年1月3日火曜日

新年

今年もよろしくお願い申し上げます

昨年も皆さまからのアクセス、コメントをありがとうございました。
スローペースとなりましたが今年もブログを続けていくつもりです。

2006年に原宿で開催した軽便写真展から早や10年が過ぎ去りました。
あの時の日本の原風景。
駅を発車したホジが森に消えてゆく、それを待って駅に現れた親子、遠くの畑に草をはむヤギ、夢のようなのどかな日本の生活があった「くびき野」でした。



頸城鉄道 明治村 1970年

8 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

あけましておめでとうございます。
新春からすばらしい写真ですね。
車両写真派からはブーイングな気動車のサイズが絶妙です。
今年もいろいろご教示お願いしたく・・・近々また一献。

katsu さんのコメント...

Cedarさん、今年もよろしくお願い致します。
この写真、頸城ホジが遠くに去る気動車のサイズは失敗作でした、
ところが鉄ファンでない方には大好評、誰もが楽しめる写真は鉄ファン感覚ではダメを思い知らされた1枚です。
さて、今年もブログならではの投稿を続け元気になりたいものです。

青蛙 さんのコメント...

この日常にしてのどかな風景は過去のものとなりましたが
展示会で私にも大きく響きました。
これこそ我々グループが追い求めてきた鉄道写真です。
何気ない日常生活の一こまを表現してまた、写真から
周囲の状況もよくわかります。
 地域に根差した鉄道。無機質な鉄道写真とは異なり
ある種の民俗学写真になるかとおもいます。
単なる懐古趣味でな日本人の生活のありようの一端を
垣間見えた気がする写真でショックも受けました。

katsu さんのコメント...

青蛙さん、
ありがとうございます。
この1枚の写真を見ると10年前の写真展のことがよ~く思い出されます。
この時の皆さんの評価からホジの写真などはいくらでもあるので車両は脇役でよしと思えるようになりました。
写真展用に大きく引き伸ばすと車両が大き過ぎて様にならないものが多々あり、これも困ったものでした。
車両は脇役とする写真をもっともっと沢山撮っておけばよかったと後悔ばかりです。
もし60年代に戻ってまた鉄仲間と撮れるとしたら随分違った視点で撮るのでしょうね。

H.Kuma さんのコメント...

あけましておめでとうございます。
お正月に相応しい素敵な写真、ありがとうございます。

1970年というと、私が中学生の頃でもまだこんな光景が拝めたという事ですねぇ。
その頃「目覚め」ていれば、実際に目にするチャンスもあったかも知れないです。

伊豆之国 さんのコメント...

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

写真に出ている頸城鉄道、全廃後30年近い歳月を経て「ほくほく線」開通で再び鉄路が戻ってきたものの、今度は北陸新幹線開業で「使い捨て」状態。全くその時々で一貫しない交通行政に振り回された格好で、何だか悲しいような、切ないような気持ちにさせられてしまいます…。
「明治村」の駅名は、昔この辺りが「中頸城郡明治村」だったことからで、「明治村」は昭和32年の合併で「頸城村」になり、更に「平成の大合併」で上越市に合併されています。「何々郡明治村」という村名は、全国に20箇所以上あったそうですが、その後の合併などで相次いで消え、この「中頸城郡明治村」が自治体として最後に残った「明治村」だったそうです。現在の東海道線「辻堂」の辺りも、その昔「高座郡明治村」だったと言うことを知りました。
「大池」の駅名は、ほくほく線の「大池いこいの森」として駅名に蘇っています。

katsu さんのコメント...

H.Kumaさん
今年もよろしくお願い致します。
頸城鉄道が1970年まで生き延びたのが信じられませんね。
路線の両端を廃止して陸の孤島となった2年半の集末期はまるでメルヘンのような世界でした。
朝の通勤時間が終わると、のんびりした時間が流れホジの単行が森の妖精のようでした。
バス路線が併走していても雪に閉ざされることがあり暫く生き延びたようです。

katsu さんのコメント...

伊豆乃国さん
頸城鉄道が走ったところは、今やほくほく線が高架線を突っ走っているのでね。
あののどかな夢の世界が大変な変わりように驚きます。
頸城鉄道に乗って終点浦川原からさらに奥地にあった十日町松代や松山温泉のイメージが、ほくほく線開通ですっかり白けてしまいました。便利さと引き換えに失われるものも多いですね。
便利になるのがそんなに良いのか考えさせられます。