案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年12月13日日曜日

花巻電鉄 西鉛温泉

随分昔2011年6月6日に西鉛温泉をアップしましたが、温泉通いの軌道線の風景を追加して再アップしてみます。これから花巻温泉に行く鉄道線の方をもっとアップしますが、どうしてもこんな軌道線の魅力にはかないません。


何もない行き止まりの西鉛温泉の駅名が電柱に表示されている.1964.08.02

豊沢川沿いに点在する温泉各駅に客を降ろしながら山間に入って来た電車はここで行き止まりとなる。終点西鉛温泉は何もないところで、旅館のマイクロバスが待ち受け、待合所に「歓迎 新鉛温泉 愛隣館 この先百米」と書かれた看板があった.

幅広のデハ3が発車を待っている. 西鉛温泉

 西鉛温泉を発車した電車.
この林を抜けて下ったあたりが昔の終点があったところでしょうか。

遠くに次の鉛温泉駅が見える.

鉛温泉

2 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

1枚目の画像みたいに、「何もない行き止まりの終点」が、生活に深く密着していたのですね。
自分の知る限りでは、北鉄浅野川線の粟ヶ崎海岸駅なんかもそうだったと思います。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
浅野川線の内灘から先海に向かう線は早くに休止になりその後しばらく線路が残っていましたね。
内灘駅の先のカーブに単車が留置されていました。
実質の終点は内灘で、その先はつけたしのような線であったのでしょう。
昭和32年の休止までどんな行き止まりであったのでしょうか。