案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年12月4日金曜日

北恵那鉄道

1978(昭和53)年9月に廃止された北恵那鉄道、かって岐阜県中津川市の中津町駅と恵那郡付知町(現中津川市付知町)の下付知駅を結んでいた。素晴らしい沿線風景を走る素晴らしいカラーリングの電車で地方私鉄の中でも人気の高い路線だったでしょう。何故撮りに行かなかったのか? 1960年代に私はまだその魅力を知りませんでしたが、田辺さんはこの素晴らしい電車を1978年にカラーで撮っていました。撮影日不明ですがたぶん廃線間近い頃と思われます。
尚、Youtubeに地元高校生が撮った素晴らしい ローカル線「北恵那鉄道」廃線記録8mm映画 があります。

有名な木曽川橋梁を渡る.撮影:田辺多知夫

10 件のコメント:

宵闇 さんのコメント...

鄙びた山間を新潟交通のようなかぼちゃを思わせるカラーの電車が貨車を牽いて走る。
いかにもお山の田舎電車といった風景がとても良いですね。
こんな景色が今日本から絶滅してしまったと思うととても寂しい気持ちになります。
こんな電車に乗って揺られながらBGMにoldtime聞きたいですね。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
こんなカラーの電車、いかにも鉄コレが取り上げそうですね(発売済かもしれませんが)。
美しい日本の風景が絶滅してしまったはその通りと思います。
その代わり全国くまなく清潔で美しい日本になったものです。
中津川といえばフォークジャンボリー、Oldtime音楽も似合うかもしれません。
電車に揺られて聴くのなら私は地元の民謡も良いかと思います。

esehoku さんのコメント...

語弊を恐れずに言わせていただければ、清潔で美しいけれども人々の息吹が感じられない景観だらけになったのだと思います。
猥雑でこ汚い中に、生活感が強く感じられたというのでしょうか…そんな時代が懐かしいです。
北恵那のカラーは本当に好きでした。電車だけでなく、シングルワイヤーのトロリー線にヘロヘロのレール、それも草むしていて道床はろくに見えない状態で、ゆっくり危なっかしい足取りだけども懸命に頑張っていた、そんな印象が強く残っています。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
私が全国くまなく清潔で美しくなったと表現したこの「美しい」は皮肉を込めたつもりでした。
不潔な時代から清潔で美しい日本になったものの、あの薄汚い時代にはあった情緒や景観は失われてしまった。
esehokuさんと全く同感です。
情緒溢れる景観の美しさと、清潔な美しさで「美しい日本」の表現は微妙ですね。

あららぎ さんのコメント...

はじめまして
いつも、楽しませて頂いております。
北恵那と聞いて、筆をとりました。
少年時代に、その晩年を楽しむことができた世代です。

北恵那のこと

日本のどこへ行っても、掃除の行き届いた駅舎と小さな花壇に花が咲くホームがあった時代。
それを、ノルマでは無く当たり前の事として、やっていた時代でした。

そんな時代に陰りが見え始めたのが、地方では昭和50年代だったように感じています。
ノスタルジーだけではなく、きちんと日本を考えてみたいと思っています。

貴記事を楽しみにしております。

katsu さんのコメント...

あららぎさん
素晴らしいサイトを拝見しました。
北恵那の情景写真にうっとりさせられました。

サイトの中に書かれてあった里山、人と自然(森)が行き来する時代、からふと思いました。
このような美しい日本の風景が一気に失われ自然破壊、公害汚染の日本へ向かったのが1960年代の高度成長期であったと思います。想えば直前まで東京でさえホタル舞う綺麗な小川があったくらいで、地方なら色濃くその風景が見られたでしょう。私が見た1960年代の各地には破壊・汚染と美しい風景の生き残りが共存していたような気がします。

ねこあたま さんのコメント...

私が中学生か高校生の夏休み登校日の朝、NHKの全国ニュースで廃止前のレポートをしていました。
昭和の50年代と言えば、バス転換での廃線が一段落ついた頃もあり、ニュースになったのでしょう。

それはそうと、北恵那鉄道の目的というのがよくわからないのですね。線路は国鉄と繋がっていても
微妙に駅は国鉄から離れていましたし・・・
蒲原鉄道や篠山鉄道と同様に、苗木城が近くにあるので、その城下町というのと中津川を結ぶために
しても、微妙に中途半端感があったのですね。

今の仕事先が、駅から商店街を抜けた先にあるのですが、就職した25年前でも、朝の7時頃には店の
おじちゃんやおばちゃんが既に店先をお掃除していましたが、「市街化改良」と言う名の道の拡幅工事や、
大規模小売商の進出であっと言う間にシャッター街となり、ほこり舞う街になってしまいました。

「清貧」という言葉があるのですが、どうなんですかね。

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
>「清貧」という言葉があるのですが、どうなんですかね。

モノが溢れる以前の質素な生活の時代は、家から吐き出すゴミなどは自家処理ができていました。そして各地に大型店舗などはなく買い物は商店街ですんだ時代でした。それがモノが溢れる豊かな生活を求めてあらゆるものが一変しましたね。かっての「清貧」はとっくの昔に消えたと思います。でもどこかで生き続け、ねこあたまさんが歩いた25年前の商店街にも残されていたのでしょう。

Cedar さんのコメント...

北恵那は一度行きたいと思ってるうちに、朝夕のみの運行になってしまい、中津に泊まって乗らずに撮影だけしました。木曽川橋梁のスケールや、起点中津町の風情など、強烈な印象が残っています。
電車はお写真と同じ元名鉄のモ560、元瀬戸電→揖斐線に集結してた電車ですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
北恵那は風情があるローカル私鉄でしたね。
と言っても私は行ってないなので、写真からそれを感じています。
モ560は素晴らしい電車ですね。
まるで北恵那向けに造られた電車みたいで北恵那風情にぴったりです。
それが都落ち電車であるのは北恵那だけでなく各地にいた都落ち電車も皆そうでしたね。
転出先の地方で華開く素晴らしい田舎電車の時代でした。