案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年7月14日火曜日

遠州鉄道二俣線 真っ赤な気動車の今

国鉄キハ41307   大宮鉄道博物館 2015年7月



遠州鉄道二俣線にいた「真っ赤な気動車」3両の内の1両キハ802が鉄道博物館に展示保存されるまでの数奇な運命は「真っ赤な気動車のその後」 で紹介した通りです。再度その経緯と鉄道博物館の今を写真で追ってみました。

国鉄キハ41307遠鉄二俣線キハ802→1967年 北陸鉄道能登線キハ5211→筑波鉄道キハ461(1985年廃車)→さくら交通公園保存→2007年鉄道博物館 国鉄キハ41307に復元

遠州鉄道二俣線「真っ赤な気動車」キハ803 (801 802と同系)  西鹿島 1964.03.25
新浜松から国鉄二俣線遠江二俣まで直通運転していた時代


北陸鉄道能登線へ転出後のキハ5211   羽咋 1972.03.04

国鉄七尾線羽咋駅の左端に能登線ホームがありキハが発車を待っている.

雪の能登海岸沿いへ向かうキハ5211  以上モノクロ4点 撮影:田辺氏
(北陸鉄道能登線1972年6月廃線)


筑波鉄道で最後を迎えたキハ461  1987.03.14
(筑波鉄道1987年4月廃線) 

今、鉄道博物館に展示されているキハ41307はごくありふれた国鉄04形気動車だが、車内に座って国鉄払下げ後ここへ来るまでの歴史・・・電化線を走った遠鉄時代、能登の荒海沿いを走った時代、春の筑波山麓を走った時代・・・などを思い浮かべてみると車内を見る目も変わってくる。

6 件のコメント:

宵闇 さんのコメント...

ワタクシ自身、鉄道博物館のキハ04型の車内に入るといつも蒲原鉄道の最終日に乗ったクハ10の事を思い出してしまいます。
あの背ゆずりの低いクロスシートと木製の床、車内から見える山の沿線風景を思い出します。

遠州鉄道キハ800型も今では鉄コレで再現出来る良い時代になったものですね。

katsu さんのコメント...

遠州鉄道二俣線のキハ802が鉄コレにあったとは!
ずっと昔に鉄コレ10箱入り1箱を購入したものの、箱を開けずしまい込んで中に何が入っているのか確認もしていませんでした。
先ほどいくつか箱を開けたところ「赤い気動車」キハ802が出てきました!

鉄コレで作られるほど「赤い気動車」は有名だったんですね。
鉄博の国鉄キハ41307は地方私鉄時代のことをもっと大きくPR展示すると関心高まると思うですが。
鉄コレを教えてくださりありがとうございました。
10箱入りをそっくり人にあげなくて良かった。


宵闇 さんのコメント...

次の鉄コレ10周年は秋田中央交通のデワとキハ41000改造のトレーラーですよ!
鉄コレも散々じらされて次にこんなモノが出ますから。

katsu さんのコメント...

秋田中央交通の編成とは驚き、そんなものまで発売されるのですか!
マニアック過ぎて信じられないですね。

おそまつクン さんのコメント...

北陸鉄道能登線
国鉄の七尾線
C56の撮影後金沢へ向かう列車窓から、夕暮れの羽咋駅でディーゼル車を見掛けました。
北陸鉄道とは判っていましたが、時間が無かったのか、興味が無かったのか、カメラを向けることは有りませんでした。
高校一年の夏休、最後の日でした。

katsu さんのコメント...

おそまつクンさん
七尾線にC56が走っていたよき時代だったのでしょうね。
「高校一年の夏休み、最後の夏でした」にグッときました。
若い頃に鉄道を撮っていると、何年生の時はどこへ行ったなど、
鉄写真と旅記録により昔のことが鮮明に思い出せますね。
私の場合の羽咋は、大学一年の夏休み初めての大旅行でした。
あの時の羽咋駅を先ほどブログにアップしてみました。