案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年7月10日金曜日

尾花沢線 花笠音頭の尾花沢 (リニューアル)

DB151に牽かれて大石田へ向かう列車. 尾花沢市外 1964.08.05
西部に出羽山脈が連なる尾花沢盆地を大石田と尾花沢を結ぶ。全線2.6Kmをゆったりと走り尾花沢に8分ほどで到着する。

ポプラと駅舎と列車、風情ある尾花沢駅の佇まい.
ハフ1(元有田鉄道)+ワフ1+DB151





空に浮かぶ白い雲、夏の日照り、セミの鳴き声、列車が発車すると構内は静まり返る。構内にいた車両は数両で撮影もあっという間に終わってしまい、列車で引き返そうとしたが本数なくバスで大石田に戻った。尾花沢には沢山のバスがいて大石田までバスが並走する小鉄道がその後6年もよくぞ存続できたものである。

この時代はどこへ行っても夏の炎天下での撮影がたいして苦にならなかったのは今の異常な夏と違ってまだ優しい日照りの時代だったのでしょう。ネガに写った陰影が柔らかなような気がする。


立派な駅舎を駅前に出るとキャブオーバ式バスが待っている.

花笠音頭で有名な尾花沢の玄関口がこの尾花沢駅であった。駅前にはバスターミナルがありここから各方面にバス網が発達していた。今もバスの拠点はここにあるようで駅舎は地元スーパーになったようだ。もう東京では見られなくなったキャブオーバ式バスがたくさんいて、銀山温泉に向かうにはここでバスに乗り換える。8月のお盆シーズンであったが「花笠おどり」の開催はもう少し先のようであった。

 楽しい夏休み真っ盛りの子供たち (駅の部分拡大)
尾花沢玄関口の賑わい。

給水タンクと給炭設備が残っていた一角.
蒸機は日車製Cタンク機が昭和34年まで在籍していた。
日車製Cタンク機が元飯山鉄道1~3と同形機だったとなると、日本ニッケル3号機(元飯山)と兄弟であり、こんなCタンク機が尾花沢線の風景を走っていたことになる。

大きな機関庫がありここを使った蒸機は開業時のポーター製Cタンク2両、
その後の日車製Cタンクなどでしょう。


以下車両写真

ハフ3 昭和31年西武所沢工場製 
地方に転じた元西武多摩湖線の101系(モハ、クハ)を各地で見掛けた.


ハフ2 昭和11年日車製 元神中鉄道のディーゼル動車.

ワ14

参考: 鉄道ピクトリアル 臨時増刊私鉄車両めぐり(第2分冊) 鉄道図書刊行会 1962年

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