案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年7月3日金曜日

日光軌道線 登りつめたところが馬返駅(続)

前回の「登りつめたところが馬返駅」の続編を。

今、クルマでふらっと日光へ遊びに行ったところでお決まりのお立ち台でお決まりの景色を眺め、お決まりの人だらけの休憩所で昼を食べ、疲れるだけで何も感動はないでしょう(目的あって下調べして行く旅は別として)。
東京から東武ロマンスカーに乗り日光駅前で路面電車に乗換え、途中下車して徒歩で観光しながら終点馬返でケーブルカーに乗り換え中禅寺湖へ向かう。もしもこんな昔の日光の旅ができたら交通手段そのものも楽しみにになることでしょう。そうなれば、朝思い立ってカメラ一つ持って新宿へ行き東武ロマンスカーにふらっと乗って日光へ向う、私はこんな日光の旅がしてみたい。
コメント欄に皆さんから昔の日光の思い出をいろいろありがとうございました。



 撮影:田辺多知夫氏 1967.12.21 

 日光駅前から高低差305mを登って馬返駅に到着しケーブルカーに乗り換える.
乗客の姿が見えず、この頃すでにバス輸送の時代だったのでしょうか.

中禅寺湖へ向かう乗客はここでケーブルカーに乗換え明智平に登り更にバスに乗換えていた。この後の第二いろは坂の完成(昭和40年)とマイカーブーム到来で、日光軌道線とケーブルカーの連携輸送は役目を終え、馬返-明智平ケーブルカーは軌道線廃止2年後の1970(昭45)年に廃止された。


 坂を登りつめるとまもなく終点馬返に到着する.

未舗装路の片隅を走る
この辺りは花巻電鉄軌道線のイメージがする泥軌道.
山岳路面電車の沿線には様々な表情があった.

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

日光軌道線のお宝写真、堪能させていただきました。
小学校の林間学校、宿舎が軌道線の線路沿いで、朝早く起きて電車を見に行って先生に叱られたのを思い出しました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
小学生時代の日光は林間学校でしたか。
そんな時代に田舎の電車に関心があったとは驚きです。

私の日光の思い出は小6の時の修学旅行でした。
この時の記憶は中禅寺湖の宿で見たテレビの巨人戦くらいで軌道線の記憶がありません。
この頃は小田急ロマンスカー1700や湘南電車80系に夢中で渋い路面電車などは目に入らなかったかも知れません。