案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年3月16日月曜日

遠州鉄道二俣線 真っ赤な気動車のその後

先日、遠州鉄道二俣線の元国鉄41000形真っ赤な気動車の話題が出たところで、その内の1両がさいたま鉄道博物館にやって来るまでの数奇な経歴を写真でたどってみました。


遠州鉄道にいた3両の赤い気動車のその後

・国鉄キハ41305→遠鉄二俣線キハ801→1967年 北陸鉄道能登線キハ5212→筑波鉄道キハ462(1981年廃車)

★国鉄キハ41307遠鉄二俣線キハ802→1967年 北陸鉄道能登線キハ5211→筑波鉄道キハ461(1985年廃車)→さくら交通公園保存→2007年鉄道博物館 国鉄キハ41307に復元

・国鉄キハ41300→遠鉄二俣線キハ803→1967年 北陸鉄道能登線キハ5213


遠州鉄道の真っ赤な気動車キハ801 1964.03.25
キハ802と同形のキハ801と803.

遠州鉄道で初めて見た真っ赤な気動車キハ803 遠鉄浜松 1963.04.04

 国鉄二俣線へ乗入れていた遠州鉄道キハ803 西鹿島 1964.03.25

 北陸鉄道能登線キハ5201(元国鉄41000形)  1962.08.02
この写真の5年後に遠州鉄道の気動車キハ802、801が入線し、その時もこんな風景を走っていたのでしょう.

筑波鉄道で元遠鉄キハがまだ活躍していた頃  1978.11.05
元遠鉄の真っ赤な気動車2両は北陸鉄道を経て筑波鉄道へ入線した.

廃線間近の筑波鉄道キハ461(1985年廃車)  1987.03.14
元遠鉄のキハ802は北陸鉄道を経て筑波キハ461となり今は鉄道博物館に保存.

さいたま鉄道博物館のキハ41307  2007.10.14
国鉄キハ41307は遠州鉄道、北陸鉄道、筑波鉄道を経て元の国鉄キハ41307に復元された。
これを見学した時に遠鉄の真っ赤な気動車の数奇な経歴を知っていれば感無量であっただろう。改めてさいたまへ見学に行ってみたい。


参考 「消えた轍」ローカル私鉄廃線跡探訪3 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング発行

9 件のコメント:

夢鉄道 さんのコメント...

こんにちは
全国のローカル私鉄で活躍した国鉄41000形気動車ですが,大宮の鉄道博物館にある展示車は全国を渡り歩き最後は元に返り咲いた数奇な車両だったのですね.
私も博物館でこの車両を見学しましたが一両の車両にも様々な物語があるものと感慨深くお写真を拝見させていただきました.
また,お写真の掲載を楽しみにしています.

katsu さんのコメント...

夢鉄道さん
私が鉄道博物館でこの気動車を見たときは過去の経歴は何も知らずでした。
どうということもない展示車に思えたものです。

それが遠鉄のあの真っ赤な気動車が転々としてここへやって来たことを思うと、もう一度会いに行きたくなりました。
過去の様々な物語を知って見るかどうかで大きく見方が変わって来るものですね。

chitetsu さんのコメント...

真っ赤な気動車って、ちょっと魅力的ですね。
色一つでこんなに印象が変わるのですね。
私は無難な色の筑波時代が初めての出会いでした。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
むかし遠鉄にいた真っ赤な気動車が交通博物館に鎮座している気動車と同じであったとは、今でもピンときません。
カラーリングで車両の印象は大きく変わるものですね。
筑波鉄道で見た時もそんな前歴は全く知らずで注目していませんでした。
よく調べてから見るものですね。

三等急電 さんのコメント...

数奇な経歴をもつ気動車をしっかり記録されていますね、
既にご存知であれば申し訳ありませんが、遠州鉄道二俣線に来る前の国鉄時代もちょっと変わった経歴がありました。
それは、昭和23~24年に長野工場で天然ガス動車へ改造され、新潟地区で活躍していたことです。
4年ほどで再び長野工場でディーゼル動車へ改造されています。
キハ36934→キハ41034(改番)→キハ41205(天然ガス化)→キハ41305(ディーゼル化)
-→キハ04 6(改番)→キハ801
キハ41056 →キハ41207(天然ガス化)→キハ41307(ディーゼル化)
-→キハ04 8(改番)→キハ802
キハ36902→キハ41002(改番)→キハ41200(天然ガス化)→キハ41300(ディーゼル化)
-→キハ04 1(改番)→キハ803
越後線西吉田駅(現:吉田駅)で撮影された天然ガス動車時代のキハ41207の姿がRM LIBRARY 1号に掲載されています。
運転台下に移されたラジエターとそこへ繋がる太いパイプは、ガスタンクを吊るスペースを確保するために行われた天然ガス改造時の名残です。
キハ801とキハ802は北陸鉄道譲渡にあたり機関交換と総括制御化をした際に改造されたようですが、未改造のキハ803は北陸鉄道でも運転台下のラジエターが残っていました。
総括制御が可能だったことが、関東鉄道での再起ひいては鉄道博物館での保存につながりました。

katsu さんのコメント...

元・いきもの部長さん
遠鉄二俣線以前の国鉄時代の詳細な解説をありがとうございました。
国鉄時代にいろいろ車番が変わって天然ガス動車の時代があったことは知りませんでした。
北陸へ転籍する前の遠鉄二俣線キハ801とキハ803の写真を改めてみると、運転台下に大きなラジエターとそこへ繋がる太いパイプが見えます。
これが天然ガス改造時の名残ですか。

今、鉄道博物館に展示されている車両が遠鉄二俣線以前の国鉄時代にも様々遍歴があった事を知ると、数奇な運命をたどった気動車に益々関心が高まってきました。

katsu さんのコメント...

元・いきもの部長さん
>越後線西吉田駅(現:吉田駅)で撮影された天然ガス動車時代のキハ41207の姿がRM LIBRARY 1号に掲載されています。

本日、近くの本屋にRMライブラリー1号があったので買ってきました。
さいたま鉄道博物館に展示されているキハ41207の天然ガス時代とは意外にまともな外観なんですね。
この時代のラジエターと太いパイプの外観はそのまま遠鉄二俣線に引き継がれていますね。

SME さんのコメント...

復活、おめでとうございます。

私は1987年の頃と言いますと・・・隣の関東鉄道常総線でキハ614に乗車しました。 
キハ614ですが・・・
遠江二俣機関区に配属→北鉄能登線へ譲渡→能登線廃止後に関東鉄道に譲渡され、真鍋機関区で保管→西武所沢工場で大改造され、常総線へ・・・・

 管理人様の今回の記事に近い所で、キハ614も流転を繰り返していたのを振り返ると・・・・車両とは言え、色々な運命を感ぜずにいられません・・・・

katsu さんのコメント...

SMEさん
常総線のキハ614の情報ありがとうこざいました。
真っ赤な気動車とよく似た経歴の元国鉄42000形気動車が常総線キハ614として存在していたとは全く知りませんでした。
国鉄二俣線は、遠鉄の真っ赤な気動車が乗り入れをしていた線であり、二俣線の仲間が同じ経緯で筑波線真鍋までやってきたとは奇遇です。
改装で姿を変えたキハ614が常総線を走っていた時代は、そんな過去の経緯などは想像もつかなかったことでしょう。