時代が経つにつれ、淡路の失われた時代の魅力が益々強くなって来る。
過去記事より。
「淡路交通 昭和40年の洲本(1)」 公開日 2015.2.6
島の電車で断片的に淡路島のことを取り上げてきましたが、今回は洲本の街に限定してこれまでの写真を再調整して整理してみます。
淡路で最も印象深かったことを書いた記事の1回目。
過去記事より。
「淡路交通 昭和40年の洲本(1)」 公開日 2015.2.6
島の電車で断片的に淡路島のことを取り上げてきましたが、今回は洲本の街に限定してこれまでの写真を再調整して整理してみます。
明石港~岩屋港経由して急行バスで遠路はるばる到着した洲本の街(昭和40年)の印象は、予想外に開けていたが大都市とは明らかに違っていてゴチャゴチャした街の風情に堪らない魅力があった。今では全国至るところ統一化されて殺風景になってしまったが、洲本の訪問記録を読み返してみるとこの時代ならではの凄い光景があった。一種独特の雰囲気、こんな風景を写真に記録してなかったことが惜しまれる。
❶三熊山山頂から見た洲本の街全景 1965年8月
淡路交通の電車が出ている洲本。街並みの向こう船着場から関西汽船や南海汽船の航路が神戸や深日と洲本を結んでいる。
❷洲本の漁港の光景 三熊山をのぞむ.
❸洲本港 洲本~和歌山深日や洲本~大阪・神戸間を結んでいた.
和歌山経由で来た観光客をここで島めぐりバスが迎える.
右に向かうと洲本駅電車のりばに出る.大通りには大衆食堂、酒場、喫茶、みやげ物店が軒を連ねている.ちょうど淡路島まつりで8月3日は盆踊り大会、どこからか盆踊りの音楽が賑やかに響いていた.
11 件のコメント:
街の活気を感じさせる良い風景です。大食堂 ステーションパーラーの看板が時代を感じさせますね。
特別食堂は何が特別だったのでしょうか。今で言ったらプレミアム○○みたいなニュアンスかな。
洲本駅の建物そのものは今でも増改築されつつ使われているようです。
影武者さん
写真の洲本観光会館の解説にあった交通センターとは何だったのか??
この会館の脇には小さな駅がくっついていただけで交通センターのイメージはありませんでした。
洲本観光会館にあったステーションパーラなどの表示によく気づかれましたね。
何が特別だったのか、たぶん名前倒れであったと思われます。
ちなみにこの日の朝食は洲本の駅前食堂で食べた100円のまずいカレーライスでした。
始めまして、洲本市の古い写真を求めて、貴殿のページを見つけました。写真4の笹屋食堂さんは、このたたずまいで今でもあります。50年ですよ。すごい!
匿名さん
情報ありがとうございました。
写真の50年前あの笹屋食堂が今でもあるとは!
googleストリートビューで洲本の昔の面影を探したことがあるのですが、すっかり変貌してしまい昔の面影は何も残ってないようで50年の歳月と淡路大震災で当然かなと思っていました。
笹屋食堂がよく残っていましたね。
改めてストリートビューで通りを歩いてみましたがあまりにも広大な道路で写真の一角が全く分かりませんでした。広大な街のイメージはストリートビューのレンズが広角過ぎるせいかもしれません。
こんばんは。貴殿の貴重な資料を拝見させて頂いて感動しております。50年前に笹屋食堂さんを撮影された時は、後ろは洲本内港で海です。その後埋め立てて、今では「スーパーマルナカ」になっています。50年前と
道路幅は変わりません。ストリートビューでも笹屋食堂さん映ってます。茶色の建物です。
それでは、他の鉄道写真も楽しみに見せていただきます。ありがとうございました。
こんにちは、初めましてFasebookで「なつかしい淡路島」のブログをやってるものです。
https://www.facebook.com/なつかしい淡路島-290429611131776/
古い写真を求めて、淡路島、洲本等で検索をかけて貴殿のページを見つけました。最近、私のブログに2枚目の写真と同じ洲本港の風景をバックに家族写真を撮られた方から投稿があり、同じ時代の洲本港の写真に感激しております。この感激をみんなに見てもらいたく貴殿のブログを私のブログで紹介させていただいてもよろしいでしょうか?よろしくお願いします。
Fasebookやられてなければ、Yahooブログ「今の淡路島」もやってます。http://blogs.yahoo.co.jp/asonciao/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=4
なつかしい淡路島さん
はじめまして、コメントありがとうございます。
貴Facebookページへ弊ブログ淡路鉄道の記事のシェアの件了解しました。
より多くの人に読んでいただけたら嬉しいです。
貴Facebookページ「懐かしい淡路島」とブログを拝見しました。
これから懐かしい淡路島の今昔写真などゆっくり拝見するのが楽しみです。
淡路には格別の想いがありブログで淡路交通のアップが16編にもなってしまいました。
ほんとうは島の電車にまつわる淡路独特の情緒を描きたかったのですが写真が少な過ぎました。
あの時代の洲本の駅前旅館や銭湯、街並み、盆踊り大会、子供たちなど
どれも記憶だけで写真がなく今になって悔しい想いをしています。
お借りしたい写真がありましたらその時はよろしくお願いします。
はじめまして。
現在淡路島に住む元大阪の人間です。
地元の歴史を調べていると、淡路島の鉄道のことを知り貴ブログにたどり着きました。
貴重な写真を載せておられており、この時代に生まれてもないのにワクワクしております。
突然のお願いで恐縮ではありますが、こちらの記事の写真を1枚、お借りしてよろしいでしょうか。市立洲本文化資料館様にもいくつか写真をお借りしたのですが、貴ブログにも残っておるので。
「昭和考古学」をテーマにブログを作っておりますが、淡路島に残る「昭和」も是非紹介したいと思い、
コメントさせて頂きました。
拙ブログは
http://parupuntenobu.hatenablog.jp/
です。
よろしくお願い致します。
BEのぶさん
貴ブログ拝見させてもらいました。
ご希望はたぶんあの写真と思います。
了解しました。
ありがとうございます。
元々は1枚だけお借りしようと思ったのですが、ここのコメント欄の笹屋食堂さんにも興味を持ってきたので、併せて2枚ブログで掲載させていただこうかと思います。よろしくお願い致します。
次の休みに笹屋食堂さんに行ってみるので、ブログにて書かせていただきます。
Parupunte Nobu さん
貴ブログ拝見しました。
とても詳しく調べているブログですね。
私のブログの写真が綺麗に使われていて嬉しいです。
洲本の写真を見ると夏の盆踊りや喧しいセミの音が聞こえてきます。
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