案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年9月3日水曜日

京福鞍馬線 岩倉のあの頃

京福鞍馬線 岩倉盆地 を読まれた方から頂戴したメールに1966~1968年当時の岩倉駅や鞍馬線の素晴らしい描写がありましたので、了解を得てここに紹介します。私もあの正月厳寒の岩倉盆地を訪れた時のことを改めて思い出しました。1960年代後半(昭和40年前半)に入っても、郊外にはまだこんな質素で優雅な時代が残っていたのですね。

 比叡山を望む岩倉駅 1969.01.02

正月の厳寒に震え上がった岩倉駅に客は暖かそうなお二人だけ 

岩倉駅近くに66年から68年まで暮らしてました。とても懐かしいです。当時は山村という感じでとても京都市内とは思えないところへ来てしまったという感じでしたね。岩倉駅の薄水色の駅舎が目に浮かびます。改札口?の所に持ち込み可能な手荷物の見本が立方体の木型で置いてありました。当時から無人駅でしたが時々切符売りの駅員さんが来てました
ダイヤは1時間に4本で岩倉駅折り返しが2本鞍馬まで行くのが2本で便利さはまあまあでしたが春の連休時に必ず24時間か48時間のストライキで運休するので岩倉は陸の孤島になりました。
2つ目の写真の岩倉川にかかる鉄橋のレールに夏になると蛍がとまっていました。川のたもとにお粗末なお便所があり、京都バスの女車掌さんが使ってました。この写真ではもうなくなってますね。
当時は駅前によろずやが一軒あるだけ、食堂も銭湯もなく、不便さに耐えかねて中京へ移りましたが、市内との温度差はかなりあり、夏の深夜はかけ布団がないと寝られなくなる岩倉が懐かしくなりました。

あの頃の叡電の年中行事ときたら春の連休のストライキと晩秋に行われる鞍馬の火祭りの際の電車のエンコでしたよね。
鞍馬の火祭りは鞍馬線にとって最大のイベントで市内と鞍馬を結ぶ最大の交通機関である叡電にとって年間最高の稼ぎ時でしたが、なにしろオンボロ電車でしたから毎年積載オーバー?で過熱して?立ち往生し、祭りから帰るお客さんはいつも市バスも市電もなくなってしまった出町柳駅に降り立つのでした。それでも非難轟々とならなかったのんびりした時代でした。
 以上 匿名さん

正月休みの京都(私の記録より)
1969年の正月、この頃は私の会社人生がスタートした頃で、貴重な7日間の正月休みは寝屋川の友人宅を訪ね正月の関西観光の筈であった。この頃は鉄撮りは全く関心なしで、元旦に奈良へ行った翌2日は京都見物の筈であった。ところがこの日突然友人は彼女と京都ドライブだということで、私一人で京都へ行くことになった。
一人の観光では楽しくなく、仕方なく京都市電や京福叡山線を撮りながらなんとなく岩倉盆地にたどり着いた。正月の京都市内各所でさんざんアベック姿を見せつけられ、岩倉盆地では余りの寒さに良い想いもなく早々に岩倉を切り上げ東京へ引き上げてしまった。
こんな寒々しい正月の京都であったが不幸中の幸いで、この時に友人と京都観光でもしていたら京都市電も京福叡山線も撮ることはなかったろう。残念なのはもし鉄撮り趣味を辞めていなければ友人宅をベースに正月休みの殆どを使って京都の私鉄を撮りまくっていた筈で、更に大きな収穫があったのに・・
今思うとほんとうに勿体ないことをしてしまった。

なんとなく撮った大晦日の大阪市内 1968.12.31


元旦の奈良 若草山 1969.01.01

元旦の奈良 法華堂

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

素晴らしい雰囲気の写真ばかりですね!
皮肉な見方かもしれませんが、友人の方も貴兄も鉄趣味にのめり込んでないが故に、町や人の空気感が捉えられてるのかな、と思います。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
お褒めの言葉ありがとうございます。
そんな写真あったかな~。
鉄趣味にのめり込んで撮るとカタにハマるのでいい事ないですね。
鉄趣味から一歩引いて鉄道を捉えると写真が楽しくなります。
京福叡山線の時は全く無欲で行き当たりばったりで撮りました。

伊豆之国 さんのコメント...

叡電には、19年前の春、出町柳から鞍馬まで乗り通し、鞍馬寺にお参りしています。既に京阪と繋がった後で、車両も大半が入れ替わって、こちらのほうの面白みは少なくなっていたのですが、市街地から山間へと、景色の変化は十分に堪能できたと思いました。
写真に出ている、法華堂(三月堂)・二月堂・手向山八幡の辺りは、奈良の風景の中でも最もお気に入りの場所でした。奈良には修学旅行を初め、これまで何度か訪れ、この夏休みにも行ったのですが、大仏殿と、その東側の写真に出ている界隈へは、実に約30年ぶりに足を踏み入れたのでした。観光客の雑踏と鹿の群れを掻き分けるように進んだ奈良公園・大仏殿前の一帯から少し奥に行っただけで、訪れる人もずっと少なくなって、打って変わっての静寂を味わったのですが、真夏の暑さにはとにかく「参った」というところでした。今回も、その4年前にも歩いたのですが、猿沢池の南側の「奈良町」と呼ばれる古い町並みを散策するのが、じっくり古都の風情を味わえる「大人向け」のお勧めのコースでしょうか。…近鉄奈良駅が地上にあった頃の、大通りの真ん中を図体の大きな電車がノロノロと進む光景を想像してみたくなります…。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
ほんとうに全国よく出掛けられていますね。
写真の場所は法華堂(三月堂)・二月堂・手向山八幡の辺りでしたか。

私は奈良のことはよく判らず昔の写真の場所をネットで調べて初めて知りました。
若草山から遠くに見える建物は大仏殿なんですね。
45年もの遠い昔のことを思うと、ボゥワーとして何とも言えない気分になります。

隼ファルコン さんのコメント...
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
katsu さんのコメント...

隼ファルコンさん
遠い昔の岩倉駅の想い出をありがとうございました。
申し訳ありません、岩倉駅前を描いた絵をみようと
貴サイトURLをコピーしていると手違いで貴コメントが消えてしまいました。
素晴らしい駅前風景の絵を見せて戴きたく
申し訳ありません、もう一度貴サイトURLを教えていただけないでしょうか。