案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年9月17日水曜日

北陸鉄道加南線 悲運な特急電車

北陸鉄道加南線の主力路線である山中線に登場した特急電車6000系「くたに」と6010系「しらさぎ」の話題が出たところで、この電車の現役時代を再び紹介してみます。

1962(昭和37)年に「くたに」が登場し、翌年に「しらさぎ」が増備された自社発注の特急電車。
写真の「しらさぎ」は投入した翌年で、中古品の足周りの上にアルミ合金製の車体がピカピカに輝いていた。そしてツートンカラーの「くたに」は投入2年目で、カルダンドライブの最新鋭電車が優雅に走っていたのが印象に残る。

北陸本線大聖寺から山中温泉までの温泉客を見込んで投入した2編成だったが、その後の余りにも急速な社会の変化により、バスやマイカーに客を奪われ1971(昭和46)年の山中線廃線で役目を終えた。
この2編成が山中線で使われたのは僅か10年にも満たない。その後大井川鉄道に引き取られ没落した姿の方が遥かに長い年数だったようだ。山中線に登場してからの数年が山中温泉と山中線ともに繁栄していた時代だったのだろう。

6010系「しらさぎ」 山中温泉 1964.12.29

旧型車の台車・電機品を流用した「しらさぎ」 山中温泉

ピカピカに輝いていた6010系「しらさぎ」 大聖寺 1964.12.29

大聖寺駅で発車を待つ「しらさぎ」の車内

ツートンカラーに塗られた6000系「くたに」 河南-山代

元温泉電軌1820形(ブラウンボベリのコントローラ搭載)と 「くたに」が出会う河南駅

山中車庫に休む「くたに」

全てが新製された「くたに」 山代車庫

美しい「くたに」の車内

元温泉電軌1810形と並んだ「くたに」  山代車庫

8 件のコメント:

伊豆之国 さんのコメント...

いずれも北陸屈指の温泉地への乗換駅だった、同じ市内の駅同士の激烈な特急停車駅争奪合戦の末、「喧嘩両成敗」で間にあった小駅を事実上の「建て替え・新装開店」という形で特急停車駅とすることで決着となって、乗換駅が共に温泉地への玄関としての地位を半ば強引に剥奪され、これが致命的となって廃線のやむなきに至った山中・山代温泉への鉄路。山中温泉へのエースとして、北鉄自慢の車両だった「くたに」「しらさぎ」の2連2編成が流れていった先は、かつて「越すに越されぬ」と歌われた大井川。この2組の電車がその後にたどった運命と、両者の明暗が分かれたいきさつが、"You Tube"の動画に見つかりました。これによると、北鉄の他の線への転用が車両限界の関係などで難しかったこと、北鉄では600Vだったため、1500Vの大井川で走らせるためには昇圧改造が必要となり、工事を行う際、旧式車両の足回りの流用だった「しらさぎ」は特に問題なく改造できたのに対し、「あかいし」と愛称を改めていた新造・高性能車の「くたに」のほうは、構造上の問題などで昇圧改造が不可能に近いことがわかって、モーターを抜かれ、機関車代わりの旧式電車に引っ張られて走ることしかできず、運用上の制約が大きく、休んでいることが多くなり、結局しまいにはぼろぼろになって悲惨な最期を遂げたようでした。一方、「しらさぎ」のほうは、「あかいし」の廃車後もしばらく活躍を続け、引退後には故郷の山中温泉に引き取られ、今も静かに余生を過ごしているとのことです。
私は、大井川鉄道には20年前に乗ったことがあり、行きの電車の車窓から、対向列車に「しらさぎ」の姿があったのを見ています。このときは、寸又峡温泉に泊まり、翌日は井川線に乗って終点まで往復したあと、帰りにSL列車に乗っています。

chitetsu さんのコメント...

この二つの電車がデビューした頃が正に北陸鉄道のピークであったのでしょうね。
温泉客を満載した新鋭電車が粗末な設備の電車線を精一杯走っていた姿が泣かせますね。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
特急として登場した時はこんなになる筈ではなかったのに。
流れ着いた大井川鉄道での特急2編成が悲惨ですね。
まあ廃線で解体されるよりはマシでしたが。

katsu さんのコメント...

chtetsuさん
あの繁栄した時代の鉄道輸送の思惑が見事に外れてしまいましたね。
生き残っている地方私鉄は接続駅が大都市ばかりで、大聖寺のような小さな接続駅は致命的でした。

Cedar さんのコメント...

くたに号の哀れな最後は、大井川の電車に共通なのが哀しいです。父親が団体旅行で山中温泉に行った時の写真で最盛期を偲ぶばかりです。
しらさぎの方は里帰りして『道の駅』に保存されたようです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
大井川にやってきた電車はみな哀れですね。
山中線で特急電車が活躍した頃は会社の団体旅行も盛んでした。
それがいつの間にか消滅してしまったのは時代の流れで当然でしょうが、
温泉地や加南線が受けた打撃は大きかったでしょう。
現在の加賀温泉郷はどうなっているのでしょうか。

esehoku さんのコメント...

いや~、とても懐かしいです!!
くたに号・しらさぎ号共によく乗りました。
ただ、私の記憶が正しければ、特急というのはなく、急行か準急だったと思います。
それもせいぜい途中駅を通過するだけで、スピードにしたって横の県道を軽自動車が追い抜いていくぐらいでしたから、ほとんどメリットがなかったように思いました。
余談ですが、くたに号のデビュー当時に車内で山中節を流していたそうですが、駅間距離があまりにも短いものだから、冒頭の「♪ハアア~~~~~~~」の間に次の駅に着いてしまったとか……(T_T)。
あまりにものどかな優等列車でした。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
くたに号・しらさぎ号のエピソードありがとうございました。
私はくたに号・しらさぎ号のロマンスカーからこれらを勝手に特急と思い込んでいました。
特急ではなかったのですね。
綺麗な外観とクロスシートさえあれば温泉地までの所要時間はどうでもよかった感じですね。
他のコメントにあった、このロマンスカーが生まれた背景、
そし閑散路線の山代線をツーンカラーのくたに号がノソノソ走るお話に興味深々でした。