案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年7月29日火曜日

新宿駅南口

新宿駅南口はいつ見ても工事をやっている感じで、以前から進められている今の工事で一体何ができるのか上からのぞいてみました。工事はJRの線路とホームの上に4階建南口新駅舎とその隣に33階建複合ビルを2016年春までに完成させるそうです。


新宿南口の今  2014年7月
甲州街道の南側に工事中の南口新駅舎は、4階がバスターミナル、3階がタクシーのりば、2階が改札だそうで、4階にバスターミナルらしきが見える。 南口新駅舎の右脇に建てる33階建の複合ビルは高島屋の並びの土地にクレーンが立つ辺りでこれから鉄骨が延び始めるのでしょう。
どうやって新宿駅のホームの上に33階建ビルを建てるのか? と思っていたが、そんなことはないようです。
左に見える小田急の線路上に人工地盤を作り遊歩道と店舗を配置した新宿サザンテラスの通りは1998年に完成している。

昭和5年東京日日新聞付録。東京市外地図。
新宿駅南の甲州街道には昔京王線が走っていて小田急、国鉄を越えて新宿三丁目まで行っていた。この新宿駅南の甲州街道(橋の上)に電車が停車したのを見たという先輩がいたのには驚いた。
その後、京王線新宿駅は小田急線新宿駅の隣に地上駅で並んでいて、1963年4月に京王線新宿地下駅が開業するまで京王600V電車が甲州街道を走る光景が見られた。
新宿駅南口はこれからも果てしなく様々な開発が進むことでしょう。

以下は過去の記事より
最後の新宿地上駅 1963年4月 
新宿地上駅を出るとすぐカーブして甲州街道のど真ん中を走っていた京王線。新宿地下駅が開業する直前の光景で、甲州街道を右手へ進んだ橋の上にある国鉄新宿駅南口は工事中のようだ。 駅の周辺にはまだ高いビルもなく新宿もすっきりしていた。

甲州街道から新宿駅南口を見た現在の風景。 2014年5月
あの長閑な新宿駅周辺もあっという間にビルが林立する風景となり、新宿地上駅があったところに
京王百貨店が建つ。

2014年7月19日土曜日

西武新宿線を走った「おくちちぶ」号

今日と明日は西武新宿~西武秩父間を臨時特急「おくちちぶ」号が1日1往復するので
数年前までN101系を狙っていた撮影ポイントへ久しぶりに行ってみました。
写真で普段の特急と異なるのは「おくちちぶ」の表示だけ。


臨時特急「おくちちぶ」号 武蔵関 - 東伏見 2014.07.19

同じ場所で撮った昔の写真。
N101系10連 新所沢行 武蔵関-東伏見  2012.05.10
定期運用離脱後久しぶりに現れた急行101系10連 (2012.12.09本線から消滅)

2014年7月17日木曜日

西武鉄道国分寺線 鷹の台

国分寺線の鷹の台付近には宅地の合間に開けた畑、四季の変化が楽しめる玉川上水の雑木林などがあり自然豊かな一角である。N101系がいなくなった以外は何も変わりないその後の沿線風景なのだろう。

夕陽を受けて家庭菜園の脇をN101系が行く. 小川-鷹の台  2008.10.21

 駅前に小さな商店街と公園がある鷹の台. 2008.10.21

駅の裏手が公園になっている鷹の台. 2009.03.09



小学生から大学生まで学生で賑わう鷹の台. 2008.09.26

 雑木林の玉川上水を渡る2000系. 鷹の台 2009.03.09

2014年7月15日火曜日

西武鉄道国分寺線

西武国分寺線を撮るようになったのはこの1枚からであった。
その後、国分寺側に2連のN101系がつくその日の情報があるとよく国分寺線へ飛んで行ったが
N101系が消えてから国分寺線へ撮りに行くことはなくなった。

夏の日の小川駅  N101系2+4連 2008年7月  
拝島へ向かう時にわざわざ小川で降りて101が来るのを待った
夕方の西日がとても強かった7月初旬のあの日の事が思い出される。

ちなみに上の"日の丸写真"をやめて車両をもっと手前の位置で撮ると・・・
鉄道撮影の楽しみ方は千差万別でヒト様々だ

小川駅の国分寺線N101系

2014年7月7日月曜日

京王電鉄 中型車改造の中間車

今年4月に取上げた京王電鉄600V中型車で、貫通ドア付き中間車にサハ化改造後の2500系。600V中型車が中間車に化けて2500系へ改番と、中型車と中間車の用語含めやはりかなりややこしい。とりあえず以前の写真にシングルルーフ中間車の写真を追加してみました。

600V中型車改造車が組込まれた2010系.1963年4月
デハ2072(左)はサハ化されたシングルルーフ中型車を挟んだ編成
デハ2068(右)はサハ化された雨宮製ダブルルーフ中型車を挟んだ編成

昇圧化後も生きのびた中間車.サハ2560(旧番号2203) 1965年3月 桜上水車庫

昇圧化前に改造済みの中型車.サハ2531(旧番号2111) 1963年4月 桜上水車庫

以下は中間車に改造されず京王線1500V昇圧化(1963年8月)で
消えた600V中型車の最後の姿.  桜上水 1963.07.19
↑2164
2128
2125
2402
2410
2128  1963.07.19

現在の京王新宿地下駅の地上風景 2014年5月
1963年4月1日に京王新宿地下駅が完成し、この年の8月4日に1500v昇圧化した。
写真の中型車5両編成はあの頃に新宿地下駅に入っていたことになる。

2014年7月4日金曜日

むさしの村3号機

1972(昭和47)年9月、元台湾基隆炭鉱の3号機を見に埼玉県加須市にある「むさしの村」へ行ったことがあり、てっきり息子を連れて家族サービスで行ったつもりだったが1972年と言えば私はまだ独身であった。
近場であったのでミニ機関車を撮りに6×6版を持ってふらっと訪問したのだろう。

2フィーターでは糸魚川の東洋活性白土の協三工業製6トン機があるが、これより遥かに小さい3.5トン機のあまりのミニぶりには驚いた。
台湾の基隆炭坑で使用されていた2フィートゲージの小さな3号機は1971年に日本に来て
その後、羅須地人鉄道協会の活動により成田ゆめ牧場「まきば線」で活躍する有名な機関車となった。
昭和11年(1936年)楠木機械製作所製。整備重量3.5トン。

「夢遊生活の日々」さんの車両工作室 ではこの基隆3.5トン機の1/48模型キット( トーマモデルワークス製)の組み立てが開始されるようだ。このサイトでは製造元の楠木機械製作所の組立図が見れます。

むさしの村の森を抜ける3号機 1972年9月


3号機とスタッフの皆さん.若き日の青山東男氏

園内をのんびり走る列車