案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年2月26日水曜日

東武鉄道 廃車古典蒸機-1

東武36号機  1963.11.24

現役時代の東武のネルソン63、64号中千住駐泊場で見たのが1963年3月、その年の11月には主連棒(コネクティング・ロッド)を外されたネルソンやピーコックの計9両の廃車群を見に行ったことがあった。場所は業平橋のつもりでいたが、どうもここも違うようで業平橋~北千住間のどこかのようである。
C11を含め10両の廃車蒸機が集結していて9両まで号機を確認することができたが、この半年前は煙を吐いていた63号がこの中にいた。廃車となってコネクティング・ロッドが外された古典蒸機はネルソン、ピーコックの特徴的な美しい姿がその時はまだ残されていた。

54号機


56号機

5 件のコメント:

lodgershinmeishrine さんのコメント...

やはりあなた様もこの現場を訪れておられたのですね。
私も訪ねました。とても、悲しかったです。
この現場にスカイツリーが立ち上がっているのですね。
やがて、「なりひらばし」も忘れられるのでしょうね。
「ふりゆくものは我が身なりけり」ですね。

katsu さんのコメント...

lodgershinmeishrineさん
東武好きの鉄仲間に業平橋へ行こうと連れられて行ったので、私も長い間この場所は業平橋と思っていました。でもどうも違うよな気がして東武に乗って現状を確認したところ鐘ヶ淵駅脇に延びる側線ではないかと推測しています。
いつかは東武博物館館長に確認せねばと思っていた場所です。

katsu さんのコメント...

lodgershinmeishrineさん
国土交通省の航空写真のアーカイブスをありがとうございました。
私にとって長いこと不明であったこの場所は業平橋に間違いないですね。
私の記録に業平橋で降りたことが書いてあったのですが本当にそこが業平橋だったのか自信がありませんでした。
この現場にスカイツリーが立っているはその通りでした。
昔の風景から今の風景は想像もできません。

青蛙 さんのコメント...

私の記録でも業平橋とあります。I君といった場所です。電蒸の貨物列車もあり、この時代の東武鉄道は面白かったことを記憶しています。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
I さん青蛙さんと渋谷駅集合の予定でした。
私は遅れて現場に到着すると何故か青蛙さんの姿は見えずI さんだけでした。
青蛙さんはきっと別な日に訪問したと思われます。
やはり業平橋に間違いなかったのですね。
この頃、I さんからはしきりに業平橋、舘林、杉戸行きを誘われていました。
舘林、杉戸へ行かなかったのが悔やまれます。