案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年2月14日金曜日

国鉄会津線 C11と大内宿-1

南会津の山中にあり、旧街道沿いに旧宿場の茅葺き民家が並ぶ大内宿。
SLブームが始まった1970年代の初頭、この頃 世に知られてきた秘境大内宿はまだ観光客相手の店などはなく、昔からの街並みと住民の生活習慣が残されていた。

すっかりマイカー時代となり何回も会津線C11を車で撮りに行くようになったが、湯野上でC11を撮った時はそこから奥へ入り大内宿に立寄ることがあった。マイカー時代とは云えマイカーで大内宿を訪れる観光客はまだまだ少ないようであった。
それが今では観光メッカとなってマイカーや団体バスで押し寄せる黒山の人出で、とっくに秘境ではなくなってしまったようだ。


阿賀川沿いに走る会津線C11  楢原 - 弥五島     1972.06.10

大内宿  整然と並ぶ茅葺屋根の民家 1972.06.10

のどかな人々の暮らし、生活感溢れる光景


帰りにはいつも立寄った会津田島の小さな機関区

12 件のコメント:

Namiki さんのコメント...

昭和に見つかった江戸時代の隠れ里と言われ、SL撮影をちょっと離れて先輩に連れて行ってもらった大内宿。家々だけではなく野良着から道具までがまさにリアル江戸時代で、加えて方言が全くわかりませんでした。

ところが数年後に再訪すると、女性は婆さんまで化粧をし、年寄り以外は普通に標準語が通じる様になっていました。

katsu さんのコメント...

Namikiさん
コメントに思わずふき出してしまいました!
いかに秘境「大内宿」が急速に激変したかをコメントが言い当てていますね。
私の数年後の再訪ではあまり変化に気付きませんでしたが細部が少しずつ変化しているようでした。
ちょうどC11が消えた頃で、そこからもう40年も経ち更なる劇的な変わりようは当然かも知れませんね。

ひもブレーキ さんのコメント...

小学校5年生の時父につれられて会津駒ヶ岳に登りました。それは確か1964年、その時は上野から夜行で会津若松まで行き、そこから会津田島まで会津線に乗りました。その時の牽引機はC12で客車2両にトムが1両の混合列車でした。まだ、鉄道趣味に目覚める前でしたが、とても思い出に残っています。そんな訳で蒸気機関車の写真を撮影するようになった頃にはC11に変わっていた会津線は違和感があって、なかなか足が向きませんでした。何処かに父が撮影した写真が残っている筈です。

katsu さんのコメント...

ひもブレーキさん
1964年に乗った会津線がC12混合列車とはいいですね。
会津線のよき時代だったと思います。
その時の写真を見てみたいものです。
1964年に冬の沼尻鉄道に行きましたが会津線は余りにも奥地で手が出ませんでした。
それから5年も経つと車利用のおかげで会津田島も身近になったものです。

伊豆之国 さんのコメント...

私も「無名時代」の頃の大内宿へ行ったことがあります。学生時代、昭和51年の夏休み。宿の人に教えられ、そこにあった大内宿の紹介パンフレットをもらい、タクシーを飛ばして大内宿へ入っています。その当時、国道から大内宿へ行く道路は舗装工事中で、あちこちで発破がかけられ、進んでは止り、といった具合。こうしてようやくたどり着いたそこには、茅葺屋根の古民家がずらり並んだ、まだ俗化されていない山間の集落の風景。それはまさに「桃源郷」の趣でした。
それから24年の歳月を経て、再び大内宿を訪れたのは平成12年の黄金週間。前回のときは会津線の本数が少なく、専らバスに頼っていたのですが、今度は浅草から東武~野岩鉄道~会津鉄道と乗り継いで、茅葺屋根に改築された湯野上温泉駅で降りてやはりタクシーで入っています。道路は見違えるように快適になり、前に訪れたときには幾棟か交じっていた「近代的」な住宅は撤去され、失われていた本陣の建物も再建されて、伝統的な町並みが復元されていました。しかし、前とは打って変わって、連なる観光バスからの団体客の人波で大賑わい…。
会津田島には、このときの乗り継ぎの合間に町に出て、近くにある「祇園祭会館」を見ています。田島の祇園祭は、何でも「日本三大祇園祭」の一つに数えられるとかで、行列の風景の模型などが展示されていました。駅前には会津線を走っていたSLが保存されていました。その後、会津鉄道には、大震災の後の夏休みで、湯西川温泉からの会津若松に向かったときに、トロッコ列車に乗っています。

katsu さんのコメント...

伊豆乃国さん
大内宿訪問の経過が大変参考になりました。
会津線のC11が消えたのが1974年11月、この年の夏に私は大内宿を再訪していますがコメントにあったNamikiさんの再訪もこの頃かと推測します。
伊豆乃国さんが訪問されたのが1976年夏、その時は国道から大内宿へ入る道が工事真っ最中、まだ俗化されていない集落の風景があったのですね。そして2000年5月の再訪で伊豆の国さんが見たのが観光バスの客の人並みと復元されていた伝統的な街並みというわけですね。
1976(昭和51)年夏の工事中だった道路が完成してから大内宿は観光化へ大きく舵を切ったのでしょう。そう思うとC11が消えたと同時に大内宿の伝統的な集落も消えて行ったのかも知れません。
国鉄SLが消えた1970年代半ばの日本は、大内宿に限らずあちこちで最後まで残されていた伝統的な街町並みが消えていた時代だったのでしょう。

鉄道・民家を愛する青蛙 さんのコメント...

katsuさんとは1974年7月に会津線と大内宿を雨の中訪れましたね。会津西街道の宿場といっても農業を営みながら人を泊めたりする程度ですから農家と大差ありませんでした。あれから数回会津線を通るたびに訪れますがその変貌には驚きます。1981年に重要伝統的建造物群保存地区になりましたので、我々の訪問の時は調査の段階だったようですね。1976年から保存が各地で行われています。観光化されない時期の訪問はよかった。
会津線も湯之上駅も大きく変わったなぁ。

katsu さんのコメント...

青蛙さん、次回は1974年の大内宿訪問をアップ予定しています。
この時の写真を見ると皆がいかに若かったか驚かされます。
会津線も大内宿も変わってしまったけど変わらないのは南会津の山並みで、
特に雪を被った秋の山並みは感動的でした。
各地の文化遺産の保存活動は素晴らしいことだと思います。

Masahiko SATO さんのコメント...

時代劇ですねー
小生時代劇ファンですので、こうゆう風景写真大好きです。


katsu さんのコメント...

Masahiko SATOさん
この写真を撮った頃、NHK大河ドラマで大内宿が使われたようです。その頃はまさに時代劇のセットのようでした。

ところで、先ほどGoogle Chromeの不調で突然動かなくなり、たまたま私が設定変更した直後だったので焦りました。最近、Googleのアプリがどんどん進化しGoogle+にあるいろいろは全く判りません(泣)。Satoさん参加の画面を開くとFacebookみたいな感じですね。ブログの画像アルバムなどは次々勝手に変化して行くのに不安を感じています。

lodgershinmeishrine さんのコメント...

katsu様へ
映像や音声の媒体がどんどん良好になるのは歓迎ですが、
旧タイプの媒体が再生が出来なくなるのは困りものです。
慣れた操作を覚え直すのは老人の最も苦手とする所です。

katsu さんのコメント...

lodgershinmeishrineさん
映像や音声はlodgershinmeishrineさんのお得意ですね。
私は静止画で精一杯で未だに動画まで手が回りません。
馴れ親しんだ操作はあっという間に過去のものに、この変革スピードがもの凄いですね。
只々ついて行くためにひたすら触って覚えろの毎日です。