案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年2月2日日曜日

熊本市電 交通局前

7年前の2007年に出張のついでに寄った熊本市電は、熊本宿泊の夕方と翌日朝一に撮ったもので、写真を並べてみると水前寺公園に近い「体育館前」から繁華街「通町筋」までを意外に多く撮っていた。
すっかり忘れていたがこの時の更に40年前に撮った写真を調べてみると、雨の熊本をさ迷い歩きこの辺りを撮っていたのであった。昔とはすっか風景が変わってしまい今昔対比は難しいが電停「交通局」を対比させてみました。

 熊本市交通局の建物の前を水前寺体育館行電車.  水前寺方面を見る  1967.03.04

7年前の電停「交通局前」.  2007.03.13
昔の面影を残す元交通局の建物(現在は建替え?)

電停「交通局前」の水前寺体育館行電車. 熊本城方面を見る 1967.03.04
右手煙突の下に車庫が開けていた.

7年前の電停「交通局前」 2007.03.13
電停前のレンガ色の建物が元熊本市交通局だが、この風景も今では変化している.

煙突の下に開けていた車庫には大量の元大阪市電が入線していた. 1967.03.04 

2 件のコメント:

toshi さんのコメント...

初めまして。熊本の街並みを市電を通して撮影されている方がいらっしゃるのには驚きました。
昭和42年といえば、私はまだ幼く断片的な記憶しかありませんが、何となく記憶に残っている部分もあり、懐かしく拝見させていただいております。
全国を回って撮影されていらっしゃるようですが、今となっては古き日本の一コマとなった貴重な写真を整理されて、写真集として出版されてはどうでしょうか?(既に出版されていたらすいません)
他の写真も楽しみに拝見させていただきます。

katsu さんのコメント...

toshiさん
コメントありがとうございました。
昭和42年春の九州は地方私鉄撮り歩きも最後の頃でした。
この時の九州めぐりは無計画な強行軍で今思えばぞっとする旅でした。
熊本のよき時代の風景を撮っていたのに、撮らねばならない義務感で苦痛ばかりでした。
この頃の鉄ファンの多くは、消えゆくその時を撮っておかねば一生後悔するの想いに駆り立てられたと思います。
やはり苦しくても撮っておいて良かったを思う今です。
写真集にして残したいは考えてはいるのですがいつになるやらです。