案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年10月26日金曜日

西武山口線 台湾から来たコッペル

1972年6月から1973年にかけて登場した頚城鉄道2号機と井笠鉄道1号機のコッペルは
元台湾糖業公司の蒸機2両が登場する1977年まで運転され、その後は元の頚城・井笠に返却された。
頚城と井笠のコッペルが運転されたのはこの間約4~5年くらいだったのでしょう。

1977(昭52)年に訪問した時は既に頚城・井笠のコッペルなき後で台湾から来た大きなコッペル527と532が入線し井笠の客車を牽いていた。これもコッペルだが海外から来たのと、その大きさに私は余り関心が向かなかった。
台湾コッペルは1984年まで約7年間運転され、山口線の休止後 532はユネスコ村駅跡地で保存された後北海道の丸瀬布町にある「丸瀬布いこいの森」へ移動。527は西武遊園地内でレストランとして使用されていたがレストラン廃止により昨年6月に台湾の博物館に移設された。

527が牽く井笠平屋根客車  西武遊園地 1977年

527 西武遊園地

ユネスコ村へ向かう527の列車

ユネスコ村での付替え作業

バックで西武遊園地へ引き返す列車. 1977年
子供達を列車に載せ、親は車で列車を追いかけて列車に乗った我が子の姿を撮る.
自分を含め多くの親子連れはこんなパターンが多かったようだ.

 夏休みの家族サービスで山口線を訪問.
井笠平屋根客車×4両. ユネスコ村 1980.08.14

2 件のコメント:

ゆうちゃん さんのコメント...

このころ忙しかったのと、527,532は頚城、井笠と比べ魅力が半減してしまったので訪問回数が減ってしまいました。それでも残って欲しかったと思います。

katsu さんのコメント...

ゆうちゃんさん、
私は西武遊園地のレストランに527と井笠客車が保存されているのを昨年に知り、慌てて527と井笠客車を撮りましたがその後まもなく撤去されてしまいました。
よくまあ昨年までこんな身近に長いこと保存されていたものです。