案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年5月1日火曜日

昭和51年の新小松駅2

尾小屋鉄道の新小松駅を前回アップしましたが、更に駅の俯瞰など風景をアップしてみます。

レストランのある隣のビルから見降ろすと新小松駅はまるでジオラマのような光景が。
駅に佇むのはホハフ8、7、3の客車とキハ3(元遠鉄奥山線)で、キハ3の単行がひっそりと発車して行った.
新小松駅前は自動販売機・ゲーム24 時間営業「Auto Snack 24」と書かれたプレハブ小屋のような建物にスペースが割かれ、駅待合室の入口のガラスには尾鉄観光旅行社と表示されていた。
この頃の尾小屋鉄道はもうバス主体の会社になっていたのでしょう。


模型のような新小松駅   1976.04.09


小松駅に鋼板張り木造客車3両が佇む.


模型のような瓦屋根の建物.
新小松駅(本社)建屋に不釣り合いな Auto Snack 24の建物が駅前広場を占める.

尾鉄観光旅行社の看板や表示.


残った線路が2本になってしまった車庫に休むキハ1とキハ2、そして奥にDCが2両.

10 件のコメント:

FOOLTAK さんのコメント...

実に素晴らしい写真に感動させていただきました。1枚目、まるで90cm x 30cmのモジュールレイアウトです。中央の白いスポーツカーは一瞬2000GTかと思いましたが、これはフェアレディZでしょうね。

Cedar さんのコメント...

遷ろう時代の記録としてまことに貴重です。
交通の主役の変化をここまで雄弁に語る写真~素晴らしいです。

katsu さんのコメント...

FOOLTAKさん
ありがとうございます。
これを撮った時はファインダーから見た風景があまりにも模型的だったのをよく覚えています。
いつか1/80模型にと考えていたものの未だ実現していません。
だいぶ線路も整理された頃で模型化もし易い配置ではないかと思います。
脇の車は確かに初代フェアレディZです。2枚目の写真では脇にあるフェアレディZが余りに白飛びするのでカットしてあります。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ありがとうございます。
生きた軽便鉄道を見たのはこの日が最後で、私の軽便訪問の締めくくりでした。
新小松駅前の24時間営業店舗を見ると長距離夜行バスのはしりだったのでしょうか。
この翌年、尾小屋鉄道は小松バスに改名され会社は存続していたのですね。
仕事で小松・金沢に行った時は小松バスにお世話になったのかも知れません。

元・いきもの部長 さんのコメント...

素晴らしく貴重な写真の数々、ありがとうございます。
尾小屋鉄道を訪ねた日々の記憶が蘇ってきました。
こんな風に俯瞰で撮影できたとは、当時は全く気付きませんでした。
そういえば、初めて「Auto Snack 24」を見たときに、とてもびっくりしました。長年忘れていたことを、あらためて思い出しました。
確か前年まではなかったと思います。
古風な駅舎に似合わない「尾鉄観光旅行社」と書かれたアルミサッシのドアも同時に作られたと思います。
昭和49年9月のダイヤ改正で9時~16時は金平での列車交換がなくなりました。昼間に走るのは大概キハ3で、他の車両はいつも車庫で昼寝をしていました。
なお、当時のダイヤは、津島軽便堂写真館の尾小屋鉄道5の次ページ(尾小屋鉄道5-2(付録))に掲載されています。

katsu さんのコメント...

元・いきもの部長さん
津島軽便堂写真館はいつも拝見し感動しています。
尾小屋鉄道のS49年9月改正のダイヤを見させてもらいました。
この頃の尾小屋の日中はほんとうに閑散とした本数だったのですね。
S51年に撮った俯瞰写真は北陸本線を挟んで少し先のビルから撮ったのですが
新小松駅の構内が直ぐ真下にあるように見えました。
北鉄小松線の駅全体をレストランから撮るつもりが、直ぐ下に新小松駅全体が!
そしてその先に車庫を見つけ大喜びしたものです。
あの時の記憶が鮮明なせいか、あれから一気に時間が過ぎた気がします。

chitetsu さんのコメント...

新小松の写真、懐かしく拝見しました。
俯瞰写真見てびっくりかつ感激しました。
私が最初で最後の尾小屋訪問はこのkatsuさんの写真を撮られた二週間ほど前、まだ中学3年生でした。
私が到着したのは12時前で、その時の時刻表を見たら、下り列車は13:30の次は16:10でした。かなり削減されていたのですね。自分の時はキハ1に乗りましたが、これも運が良かったとは知りませんでした。
その時は、満足したのか時間が無かったのか北陸鉄道小松線を見ていないのも悔やまれます。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
そうでしたか、確かに昭和51年の尾小屋訪問の日付けは私と2週間違いですね。
この時代に中学生でよくこんな遠い北陸の地まで出掛けられたものです。
そしてあの少ない本数で沿線に降りて撮られたのが中学生の時だったとは驚きます。
私は高校生の時でも九十九里や草軽は遠くて出掛ける勇気がありませんでした。
最後の時代の尾小屋は派手なカラーリングや寂れたムードのせいか、
昔の尾小屋のような魅力を失っていました。
昭和37年の訪問時は沢山の乗客で活気がありまだ良き時代でした。

匿名 さんのコメント...

小さい頃ここから祖母の家まで遊びによく行ったものです。それにしても当時の時代背景が鮮明に思い出せるくらいすばらしくきれいな画像に驚きです!涙が出るくらい感動しました。やはりモノクロームというやつはいいですね。自分なりに自由なカラーを心に描けるところがなんとも言えない。うるうる。。貴重な写真ほんとうにありがとうございました。

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございました。
小さい頃の思い出に昔の写真がお役に立って戴ければ
ブログにアップした甲斐があります。
遠い昔の思い出に、色付でないモノクロ画像は
何とも云えぬものを感じることが私もあります。
どうか今後ともよろしくお願い致します。