案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年11月15日火曜日

朝の仙台市電

仙台と云えば仙台市電が思い出される。
上野から夜行車中泊で朝を迎える仙台は東京から丁度よい距離で、朝から効率よく動くことができた。
夜行列車で到着する早朝の地方都市と云えば、ひと気のないうす暗い駅前に路面電車が走っている風景が定番であった。
前夜20時50分に上野を出発した青森行き鈍行列車は仙台に30分遅れで5時半頃に到着。
大都会仙台も早朝の駅前は人もまばらで通勤・通学時間前のひっそりとした風景であった。
昭和38年9月の仙台行きは市電と仙台機関区を同時進行で撮り、朝暗い内から仙台の街を駆け巡った。
あの時の風景の今をGoogleストリートビューで覗いてみるとその変貌ぶりに驚くばかりである。

全点ポップアップ拡大画像になります。   撮影日 1963.9.29
日が昇る前の朝の仙台駅前
様々な看板がいかにも地方都市らしい駅前
大都会仙台の駅前もこんな風景であった. 駅前の丸光百貨店が増改築中
仙台駅前の停留場
仙塩街道を行く10系統原町行. 花京院-小田原一丁目
花京院を出るとさんさんと差す朝日を浴び東北本線を越える.橋の碑は今もそのまま残る.
現在はこの上に新幹線高架ができうす暗い光景に一変した。
仙塩街道を行く10系統原町行. 花京院-小田原一丁目
東北線を越えると左にカーブする.
仙塩街道を行く9系統原町行
 花京院.  9系統 大学病院前行き
花京院の交差点

3 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

街の足の主力だった頃の仙台市電が生き生きと捕えられていますね。
街の主役が人だった時代を感じます。いまは人は街に飲み込まれてしまっているような気がしてなりません。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
投稿不能の問題が発生し申し訳ありませんでした。Google-Bloggerではときどき投稿不能の問題があるようです。

あの時、仙台市内から蔵王?の山並みが見えました。道路歩く人も多く雑然とした活気がありました。今では空が小さくなってしまって・・仙台に限らずどこも凄い変わり方ですね。

Toshi Hino さんのコメント...

見事なお写真、堪能いたしました。

花京院橋のたもとが東六小で、学校の帰りに花京院橋の下を蒸気が通ると、一面真っ白な蒸気に覆われて、まるで雲の中に入ったみたいで気持ち良いものでした。

蒸気機関車の写真というのは、白黒のほうがカラーよりも遥かに良いですね。

仙台市電は、207号車のような流線型のものが当時最新だったでしょうか。 停留所で市電を待っていて、これが来ると嬉しかったものです。
古い37号車のようなのは小さい上に振動も大きく、扉も木製でガタガタと閉まりが悪く、乗り心地も悪くて、これが見えて来るとガックリしたものですw

運転手も、37号車のようなのは両足を踏ん張って、ハンドルを思いっきり大きく目一杯操作していたような。
新車両のほうはもっとスマートな操作だった印象がありますので、電車のことは解りませんが、なにか機械式と電気式の違い?でもあったのかも知れません。