案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年8月14日日曜日

SLが走った市電 1

川崎駅前から塩浜まで川崎の工場地帯を市電が走っていた。
日本鋼管前~塩浜間は1435mm軌間に1067mm軌間が入った3線式区間で、国鉄のSL貨物列車が市電の線路を走る珍しい光景が見られた。
 訪問した翌年1964年3月に池上新田~塩浜間が休止になり、さらに1969年3月には全線廃止となって消えてしまった。日本鋼管浜川崎などこの一帯は工場構内・専用線のSLの宝庫であり、鉄道ファンにとってはこうしたSLに較べ川崎市電は目立たない存在であったようだ。


桜橋の風景  1963年6月


市電とすれ違って3線式区間をやって来た国鉄のC11.   桜橋


工場地帯を走る市電


専用軌道で3線式区間でないのは上並木~川崎駅前となるが、この駅名は?


参考文献: 鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり第3分冊

8 件のコメント:

CEDAR さんのコメント...

ラストのカットですが日本鋼管前ではないでしょうか?
バックに見える架線柱は浜川崎から塩浜に向かう貨物線のもので、もともと市電と併用だったものが塩浜操車場の拡大に伴い複線電化の専用線が新設され、市電は庇を貸して母屋取られるカタチで廃止に追い込まれたのですね。
川崎駅前に向かう市電は右折して併用軌道となります。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
貴重な情報ありがとうございます。
この駅は日本鋼管前の駅ですか。
日本鋼管前から塩浜側へ少し行ったところで国鉄線が合流してくる、日本鋼管前駅はまだ3線式になっていない専用軌道という訳ですね。
日本鋼管前で間違いないと思います。
川崎駅前からの専用、併用軌道も時代とともに変化しているようです。まあとに角大変に複雑な浜川崎界隈ですね。

Cedar さんのコメント...

私は父と一緒に行った時の画像をブログにUpしています。日本鋼管前の情景もありますのでお暇ならご覧ください。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-06-05

katsu さんのコメント...

Cedarさん
川崎市電をアップした後、検索でCedarさんのコストコの記事などを見つけ拝見していました。
川崎市電のこの辺りを撮られている方は少ないでしょう。貴重な写真で大変参考になりました。

風旅記 さんのコメント...

こんばんは。
貴重なお写真、楽しませて頂きました。
頑張り過ぎず、適度な範囲で、いつかは各地の鉄道全てに乗ってみたいと思い、少しずつ列車に乗っていますが、どう頑張っても手に届かない存在があると思うと、焦燥のような感覚を覚えます。
川崎市電は私には、どうやっても接することのできなかった存在ですが、タイムマシンがあるならば、見てみたかった存在です。
北海道新幹線の開業を迎え、新幹線と在来線の三線軌条が稼働し始めましたが、その遥か過去に、蒸気機関車と路面電車が共存した三線軌条があったと思えば、その魅力にもっと近付きたかったと思わずにいられません。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

katsu さんのコメント...

風旅記さん
こんにちは。
随分いろいろと各地の鉄道に乗っていますね。
写真の解説が詩的でとても良いですね。
車両の解説ではなく、こういう文章が私も好きなのですが、
その場でメモしておかないと中々書けないのではないでしょうか。

川崎市電は私は一度だけの訪問で殆ど記憶がありません。
この時は川崎鶴見地区の専用線蒸機のことで頭がいっぱいでした。
川崎駅近くの市電をあと1回アップしてみる予定です。

ジャンルの垣根を越えて さんのコメント...

川崎市電はほとんど映画に出てきませんが、大島渚の処女作『愛と希望の町』で、川崎駅で鳩を売っている靴磨きの少年の遠い奥に市電が止まっているのが見えます。
また、日活の『仲間たち』にも出てきたような記憶がありますが。

katsu さんのコメント...

ジャンルの垣根を越えてさん
今や川崎に市電が走っていたなんて殆どの人が知らないでしょうね。
映画を観て昔を偲ぶですか。