案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年8月3日水曜日

上田丸子電鉄 夏本番の上田駅

夏休みを使ってよく地方へ撮りに行くことがあったが、8月はちょうどお盆のシーズンで地方私鉄はどこも帰省客など人々の移動で賑わっていた。信越本線上田駅で国鉄に接続する真田傍陽線と別所線では国鉄からの乗換え客で賑わい、夏休みに家族連れでこの私鉄沿線に帰省する人達も多かったのだろう。
それにしても上野から長野方面へ向かう信越本線の混雑ぶりは凄かった、人気の軽井沢~長野方面へ向かう帰省客や観光客で夏の最盛期であった。

昭和45年の上田丸子電鉄は、既に丸子線、西丸子線が消え、この2年後には真田傍陽線も消え、その後別所線だけとなった。この頃に撮った私鉄はどこでもごく平凡な路線だったが蒲原鉄道、新潟交通などと同様に、上田丸子も当時を見ると個性豊かな電車で魅力的に感じるのは時代の変化によるものか。

古風な駅建屋から発着する真田傍陽線はツートンカラーの
味わいのある電車で上田駅によく似合っていた.

真田傍陽線 電鉄上田駅 1963.7.20
夏の子供達はローカル電車に乗って元気一杯の笑顔.
どこのローカル私鉄でも見られた風景.
こんな子供達の風景も楽しい夏のローカル私鉄ならではであった。



信越本線を挟んで反対側は別所線上田駅のいかにも夏らしい光景が. 1970.8.17
1986年の昇圧化前で様々な電車が在籍し丸窓電車も健在であった.


別所温泉行きの電車モハ5370形. 1963.7.20


7 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

真田・傍陽線の駅舎、別所線の人々のポーズ・・・涙が出そうにいいですねえ!
TOPの写真など大好きです。電車はやはり人が乗るもの、だから魅力があるんだな~と思います。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
感想ありがとうございます。
よく駅の場面の写真などでは家族や子供達はその後40年どんな人生を送ってきたのか、なんて勝手に想像してしまいます。車両だけではなく、鉄道にはそんな人の魅力が昔も今も溢れていますね。

にちがく中村 さんのコメント...

私もTOPの写真がとても気に入りました。夏の親子旅行か、帰省でしょうか。長男の麦藁帽子が実に夏の旅行を感じさせます。下の子を抱く母親もいい雰囲気です。親子4人でどんな会話を交わしたんでしょうか?。暑中見舞いの画像に使いたい映像です。

katsu さんのコメント...

にちがく中村さん
感想ありがとうございます。
私も親子4人でどんな会話だったのか
気になっていました。
きっとこんなだったのでは。
父さんあれに乗るの?(長男)
そうだ。凄い電車だぞ。(父親)
久しぶりねこの電車に乗るの(母親)

匿名 さんのコメント...

上田丸子電鉄、なつかしいですね。
地元・上田在住の者です。

真田傍陽線(北東線)は記憶に有ります。
小学校低学年の頃でしたが、廃止のさよなら運転は親にせがんで乗りました。廃止後、踏切に張られた閉鎖の鉄線や廃墟になった駅に淋しさを感じた事を覚えています。
唯一残る別所線、相変わらず経営は苦しいものの、最新型の電車を投入したり地上設備の更新をはかたり、その努力には地元民として頭がさがります。末長く残って欲しい鉄路です。

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございました。
上田駅の光景が今も忘れられません。
夏になるとこの一帯に憧れていました。

別所線の沿線は由緒ある土地なのですね。
今も変わらぬ風景の中を走る別所線に乗ってみたいものです。

匿名 さんのコメント...

お返事ありがとうございました。
匿名改め、ミケです。

昔とほとんど変わらない田園風景の中を、最新型と言っても過言ではないような新型の電車が走る別所線の風景は、ちょっと不思議な感じがします。
上田駅は新幹線開通以来、近代的な駅舎に代わり、別所線の上田駅も高架での乗り入れになり、このあたりを見ている限りは都会の近郊電車と見まごうような風景に「なってしまった」感じですが、ちょっと走ると昔と変わらない風景が広がります。またぜひ、お越しくださいね。