案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年3月9日水曜日

京福電鉄 永平寺から東尋坊へ2



丸岡線は永平寺線本丸岡から三国芦原線西長田まで走っていて、訪問した年(1968年)の7月に廃線となり、更にその翌年 永平寺線の東古市~金津間が廃線となった。
丸岡線のホームは本丸岡の片隅にあり、そこから小さな電車ホデハ112(旧丸岡鉄道)等が走っていた。途中 丸岡で北陸本線をオーバクロスすると、直ぐに西長田に到着する。
永平寺線の沿線風景と同様、丸岡線の沿線も一面何もない田んぼばかりで実に単調な風景であった。アラレが舞い寒風が吹き荒れ、あまりの寒さに歩かず電車に逃げ込み西長田まで乗ってしまった。


丸岡線の本丸岡駅ホーム。 発車待ちの西長田行 デハ106。  1968.1.14


楕円型の戸袋窓 デハ106
この日は、旧永平寺鉄道からの引継車である楕円窓デハ104~107(昭和5年製)の内、105 106 107に乗ることができ、更に古いデハ101(大正15年製)も現役の姿を永平寺で見ることができた。これらは一部を残し翌年に廃車になったようでギリギリのところで間に合った。

デハ101(パンタ化後) 永平寺


丸岡線西長田行 旧丸岡鉄道からの引継いだ11m級の小型車 ホデハ112。 本丸岡

丸岡線本丸岡行 デハ106、三国芦原線のホサハ17  西長田駅

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

丸岡~西永田間は国鉄の車窓から見えたが、田圃の中を一直線で走っていた。
冬の丸岡支線の写真は貴重!
金沢在住の先輩は「勤労感謝の日が
過ぎたら太平洋側の人は撮りに来ては
いけない」と言われていた。寒さ+天候の
急変の事と思う。

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございます。
この日、日本海は荒れ狂い、翌日は雪で三国芦原線が不通になるなど、北陸の寒さと天候の急変はその通りでした。
余りに寒くて沿線歩きを切り上げ早めに芦原温泉に浸かったものでした。

匿名 さんのコメント...

Katsuさん、新庄丸岡(地元では国鉄の丸岡駅をそう呼んでいました)から出て西長田に向かってオーバークロスを登るときの電車の大儀そうなモーターの音を覚えていますか?。考えられないことですが、あそこが当時の京福線全線で発坂の坂と並ぶ急勾配、加えて急カーブなので新米の運転手泣かせの難所でした。やすし

katsu さんのコメント...

やすしさん
丸岡線のネガを見ると本丸岡駅の次のコマは西長田でした。この間は何も写ってなく記憶もなく残念なことをしてしまいました。
あまりの寒さで本丸子で乗車した後、そのまま西長田まで眠ってしまったようです。
60年代の睡眠不足と空腹の旅ではよくあることです。