案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年2月15日火曜日

最後の筑波鉄道

ブログタイトルの1960年代ではなく、1987(S62)年の事になりますが最後の筑波鉄道を連載してみます。
1975年~は地方私鉄めぐりに出歩くのは止めてしまい、唯一通い詰めたのが廃線間近の筑波鉄道でした。常総筑波鉄道筑波線→関東鉄道筑波線から1979(S54)年に筑波鉄道となって、最後の年(1987年)の筑波を撮り始めました。


雨引観音  1987.1.18
あ~入ってしまった! と悔しい思い。しかしよく見れば邪魔な撮影者は自分の姿であった。
初期のビデオカメラ(ソニーベータ)を肩に担ぎ、同行者に静止画を頼んだようだ。

美しいカラーリングの気動車、筑波連峰の峰々、ローカル色豊かな駅施設、
茨城の風土・自然など、筑波鉄道の素晴らしさは身近か過ぎて気付かなかった。


あれから24年、こうして今だからこそ筑波の素晴らしさが判るのだろう。
そんな昔ではないのに、遠い昔の出来事に思える。

0 件のコメント: