案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年2月18日金曜日

最後の筑波鉄道 樺穂

筑波北方の中心地 真壁近辺には紫尾(しいお)、常陸桃山、樺穂(かばほ)、雨引 といった素敵な駅名が多いが、この山裾一帯は昔から人を惹きつけける土地のせいで旧所・名跡が多いのだろう。
ある日、夕暮の樺穂を訪れてみた。

筑波山を背景に夕暮れを行く。樺穂あたりから見る 筑波山が魅力的であった。
樺穂 1987.3.22

加波山の山並みを背景に行く。 樺穂 - 真壁


夕暮れの樺穂駅。  岩瀬方面を見る。

5 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

ここ何回かの筑波鉄道、実にいいムードですね。でもこんなに鄙びた沿線だったから廃線になったのかと思うと、地方私鉄の厳しい環境を思います。
同じように美しい沿線風景が印象深かった長電屋代線も廃止になるようです。
筑波山、今頃の季節の晴れた日なら、城北地区の高台にあった我が家の物干し台から見る事ができました。

猫が好き♪ さんのコメント...

 どーも。近場なんだけど現役時代には一度も行かなかったのが筑波鉄道です。鉄道が廃止になるとこんだけ町は寂れるんだなあ、なんて感じることがときどきあって、しんどいなあと思ってます。

 でだ。筑波鉄道の沿線の拠点地のひとつだった「真壁」という町があるんですよ。

 今となっては鉄道はおろかバス便もない田舎町になってしまっているのですが、寂れているものだから建物の更新とかもなくて、古い町並みがそれなりに丁寧に残されているのです。町を上げて文化庁登録有形文化財への登録を推進していたりして、100件を超える文化財があったりもします。
 なんとか町おこしをしようとがんばっているようで、昨年からひな祭りにあわせて臨時のバス便の運行などをはじめています。お客さん来てくれるとうれしいなあ、と、圏外のおれも思っていたりします。

・2010年の紹介
 http://blog.livedoor.jp/nekosuki600/archives/51681067.html
・2011年の紹介
 http://blog.livedoor.jp/nekosuki600/archives/51821690.html

 お時間ございましたら、改め、是非ご訪問ください。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
屋代線は残念ですね。素晴らしい駅舎と長野の風景、ここも行けば虜になることでしょう。
筑波山は我が家(練馬区)からも見え、今朝改めて山のカタチを眺めてみました。
筑波鉄道は車両よりも駅にとても惹かれました。そして駅の背後に連なる山並み、今もこの雰囲気は変わらないでしょう。廃線跡めぐに行ってみたいものです。

猫が好き♪ さんのコメント...

 真壁へのバス便を検索して、でもまったくでてこなかったとき、おれは「バス便がなくなった」のだとは思いませんでした。バスって鉄道ほど検索しやすくありませんから、探し方が悪いんだろうと思いました。で、バックアップの手段は検討した上で、とりあえずつくば駅(つくばエクスプレスのつくば駅)まで行って、関東鉄道バスの案内所で聞いてみたのです。
 なくなっていました。正確に言うと、そのときは、早朝に真壁を出る便と夜に真壁に到着する便と、一日に一往復だけはあったみたいですが。要するに、真壁近郊に住んでいる運転手の通勤兼用便なのかな、それしかなくなっていたんです。
 しょうがないんで、筑波駅(筑波鉄道の筑波駅。いまは筑波山口でしたっけ)までバスで行き、レンタサイクルを借りて真壁まで走ることにしました。レンタサイクルがなければタクシー使うかって感じ。まあそこらへんは行き当たりばったりでもなんとかなる範囲ですから。確か水戸線の岩瀬にもレンタサイクルはあったような。

 真壁って、江戸時代には「真壁藩」というのがあって、そのあたりの中核都市だった町なんですよ。それなりにたくさんの人が住んでいる場所だったはずなんです。そこに公共交通機関だけでは辿りつけないって、どういうことなんだろうかと。
 なんかすごく釈然としませんでした。

katsu さんのコメント...

猫が好きさん
先ほど真壁から自宅へ帰って来ました。
筑波から真壁までのバスは4月1日~全廃の掲示がありました。
本日はひな祭りバスでつくばセンターから真壁まで行き、無料自転車で真壁~酒寄まで廃線跡を観察して来ました。それだけではなく、文化財町並み、そしてひな祭りまで無料自転車で楽しんできました。
これも猫好きさんのおかげです。
後ほど報告致します。