案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年4月7日日曜日

軽便の狭いせんろ

井笠や下津井の線路がしっかりしていた事はよく知られています。
改めて井笠の線路の風景写真を見ると、とても美しい! 雑草などは生えてなく軽便とは思えないしっかりした線路です。ここを赤い気動車が客車を牽いてえらい速度で飛ばしてきました。
3'6''ゲージならどうという事はない線路風景ですが、ナローゲージの線路となるとゲージの狭さだけで強く惹きつけられます。狭いゲージと枕木のサイズと配置のバランスが独特で、その美しさに思わず各社の線路を採寸したことがあります。

井笠鉄道のしっかりした線路 1967年

下津井電鉄のしっかりした線路 1962年
軽便としては太い30kgレールが使われた

頸城鉄道のか細い線路 1970年
15kgレールが使われた


尾小屋鉄道は軽便の標準的な線路だったと思われます. 1962年


2013年4月5日金曜日

いすみの春 2009年

今年の桜は早過ぎる満開でその後が天候不順で花のいすみ鉄道行きもすっかり予定が狂ってしまった。
2009年は西畑の花が咲き揃ったのが4月10日頃で、この2009年の花の経過を並べて昨年も咲き頃の予測を立て出掛けたがすっかり外れてしまった。最近はあの頃の菜の花の勢いがないのがどうも気になるところ。

2009年の花の経過はこんなでした。
2009年4月3日 総元の華が咲き揃う

2009年4月3日 西畑の菜の花がグラデーションになるが桜はまだ開き始め

 2009年4月10日 西畑は桜満開となり菜の花と桜が揃う

2009年04月10日 西畑の土手片側が菜の花で黄色く染まる

2009年4月19日ともなると西畑の土手は全てが終わり山々が新緑に染まり始める

2013年4月2日火曜日

仙北鉄道 廃線前の活気

仙北鉄道が廃線(1968年3月)となる2年前、1966年の仙北鉄道はその2年前に訪問した時と同様に貨物輸送も乗客輸送も活気があり軌道の保守もしっかりしていた。しかし既に宮城バス仙北鉄道となっていた軽便はあっという間にバスに置き換えられてしまった。早過ぎた廃線と思われたがすでにトラック輸送やマイカー時代を迎え小さな軽便鉄道の廃線は時間の問題であったのだろう。まだまだ輸送量があった仙北鉄道は衰退して廃線を迎えるようなムードではなかった。
ライトボックス機能(画像拡大)が回復しました.

貨物長大編成 1966.03.01 沼崎下 - 瀬峰   

ニフを先頭につけて貨物列車が米谷方面へ出発する佐沼駅 初春の風景. 1966.03.01
昭和40年代でも軽便が貨物と乗客で賑わっていた夢のような風景であった.

賑やかな佐沼駅 夏の風景. 1964.08.04

朝の通勤列車  沼崎下 - 瀬峰 1964.08.04

全線保守が行き届き、軽便ながらしっかりした軌道が印象的であった.佐沼 1966.03.01

DC103  佐沼 1966.03.01


瀬峰には大量の有蓋貨車が留置され貨物輸送が盛んであった.
左の軌道は築館線廃線跡で築館行のバスが走る.

この時代でも軽便貨車による米どころの輸送量はかなりあった.

2013年3月27日水曜日

大多喜のたんたん麺

先日、いすみ鉄道鳥塚社長の社長ブログに「大多喜のたんたん麺」のことが書かれていました。 

ちょうどこの日、私達は夷隅郡大多喜町の民家の裏にひっそりとたたずむ夷隅(いすみ)軌道の遺構を訪ね、
鉄道ホビダスの編集長ブログに紹介された夷隅軌道の転車台 の跡を眺めていました。
大多喜駅にあった復元人車なら方向転換なんて必要ないだろう? との同行メンバーの疑問に、
私はあの夷隅軌道の単端式ガソリンカーが目に浮かびました。
大多喜のたんたん麺、何とかわいらしい単端でしょうか。

2フィートゲージの単端がこの転車台で方向転換したのでしょう.大多喜  2013.03.23

夷隅軌道の車庫跡

大多喜は街全体が古い町並みを保ち城下町のような雰囲気を保っています。
そんな大多喜の街中の「房総中央鉄道館」にあったHOナローの単端。

アルモデルの夷隅タイプ自動機客車の模型(Oナロー)は→こちら

沼尻 ガソ101の小さな転車台と方向転換。沼尻の単端と較べると夷隅のはかなり小さい。

2013年3月23日土曜日

いすみ鉄道 新型350型

今年2月にデビューした新型350型とこれに搭載されたコマツエンジンSA6D125HEを見に行ってきました。

新型350型コマツエンジン搭載車  大多喜 2013.03.23
300型と違って車体前面が国鉄キハ20系気動車の復刻版とは素晴らしい。そして従来型の客室窓で透明ガラスが気に入りました。今までと同様にガラス越しの菜の花の色合いや、風を楽しめることでしょう。

乗客を楽しませてくれる土日運転の行楽列車サービス.キハ52+キハ28. 大多喜

2013年3月22日金曜日

今日が最後の小田急下北沢地上駅

とうとうこの日がやってきた。下北沢らしい駅の風景はその全てが明日から見られなくなる。


今迄で最もカメラを向けたのが、連絡通路から見る上りホームのこの場所だった.2013.03.22

連絡通路と上りホーム
上りホームのベンチから眺める下北沢風景の見納め. 2013.03.22

地上駅の踏切風景をカメラに納める人々.

井の頭線の橋脚と橋脚の間にある連絡通路.

井の頭線ホームから小田急へ連絡通路を下る.

小田急下り線ホームの連絡通路.

下り線ホームの連絡通路「空中廊下」

下北沢駅の記事は過去に下北沢駅1 と 下北沢駅2があります。

2013年3月21日木曜日

石神井川の桜2

もう少しで満開となる石神井川の桜.
  西武鉄道新宿線  東伏見-武蔵関  2013.03.21

レッドアロークラシックの出現に大喜び

 東伏見-武蔵関  2013.03.21

2013年3月20日水曜日

石神井川の桜1

今年も石神井川の桜が咲き始めました。
散歩デジカメ写真をfacebookにアップしたのですが、撮った原画を自動一発で960pix 200KBへリサイズして綺麗に見る。PCでやっている私のブログではこんなことは出来ません。
今や、ブログで原画の最適化リサイズ等の内職作業や容量制限に配慮なんて時代遅れなのでしょう。


facebookの自動リサイズ画像 960pix 200KB 武蔵関 2013.03.19
新宿線レッドアロークラシック(3月16日~21日運行)



2013年3月19日火曜日

加悦鉄道 キハ51

思えば昭和37年の加悦鉄道を含む「地方私鉄めぐり」のスタートは渋谷駅であった。
1962年7月27日、渋谷駅の大階段を上がった東横線切符売り場あたりに集合し、東京駅から18:30発明石行急行「はりま」で西へ向かった。山陽道~山陰を経て加悦鉄道に到着したのが7月31日。
昭和37年は東京も地方同様に戦後の面影を色濃く残していた筈。なのにその時代の当たり前の風景に驚きもなく都電も渋谷駅も1枚も撮ってなかったのが悔やまれる。いつも「私鉄めぐり」の集合場所となったあの頃の東横線渋谷駅は改装前で凄まじい戦後の光景だったはず。その渋谷駅が幕を閉じ、あの時の渋谷駅から50年が経っていた。

国鉄宮津線の丹後山田駅では派手なカラーに塗られたキハ51が客を待ち受けて、日中はこのキハ1両が往復していた。

更新直後でピカピカのキハ51.  加悦  1962.7.31
船木鉄道より1962(昭37)年4月に入線し、自社改装され白に近いクリームと朱色のツートンカラーに塗られ7月21日より使用開始された。荷台付気動車はローカルムードがあったがあの渋いマッチ箱客車の加悦鉄道にはマッチしないカラーリングであった。

加悦を発車し丹後山田へ向かう

丹後山田駅の加悦鉄道線のりば. 昼過ぎで乗客もまばらであった.

キハ51と4号機

2013年3月17日日曜日

加悦鉄道 大江山鉱山と小型蒸機

大江山と丹後ちりめんの町加悦に似合う終着駅.  1962.7.31

加悦鉄道は国鉄宮津線(現・北近畿タンゴ鉄道宮津線)の「天橋立」の先にある丹後山田(現・野田川)駅から、古くから丹後ちりめんの町として知られた加悦町(現・与謝野町)にある加悦駅まで5.7kmを走っていた。
他に貨物線として丹後山田~岩滝精錬工場、加悦~大江山鉱山があった。大江山鉱山ではニッケルを採鉱し日本海に面した岩滝町の精錬場まで輸送していたが、昭和20年に鉱山が閉山し専用線も廃止された。訪問した昭和37年夏は日本冶金工業㈱岩滝線の貨物輸送で蒸機がまだ活躍していた。その後23年間に亘り営業が続けられたが昭和60年に全廃となった。

終点「加悦」駅は伝説の山丹波の大江山が迫ってくる土地で、加悦駅構内の行止まりに立つと、その先に延びていた昔の大江山鉱山駅までの専用線を偲ぶことができた。古典客車と蒸機がたむろする素晴らしい加悦鉄道の光景は大江山と丹後ちりめんの町によく似合っていた。

格調のある加悦駅の現役時代 1962.07.31

加悦の貨物駅

C160、1261、2号機が休む機関区

C160号機 昭和17年大江機械製作所製
日本冶金工業が購入し専用線に使われていたのを引き継いだ.

1261号機 大正12年日車製

この日煙を吐いていた4号機 大正12年川崎造船製
加悦では4両の蒸機を見ることができた.
大江山を背に4号機が動いていた加悦の構内風景.

側線の一番奥にあった給炭所.
ホームの線路の先は昔大江山鉱山駅に至る貨物線が延びていたが戦後閉山し貨物線は廃止されていた。現在は貨物線の道床跡を利用したサイクリングロードがこの風景の先へ向かっている。

参考: 鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第1分冊 加悦鉄道