案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年10月10日火曜日

京王新宿駅

先輩のアルバム・シリーズ。
京王線の新宿地下駅開業の日の写真1枚を見つけ、計3枚をお借りしました。今の京王新宿駅からは考えられない光景です。新宿地下駅が開業する前後の写真と、盛んに走っていた京王中型車を並べてみました。


新宿地下駅が開業した日の地上駅 1963.4.1。先輩のアルバムから。
この地上駅のところに京王百貨店が建つ。

開業直後の地下駅で、600V車が地下駅に入ってきたのはごく僅かの期間であった。
撮影:田辺氏

地下駅開業の直前で甲州街道に出る地上線。 1963.3.20。先輩のアルバムから。

新宿地下駅開業の直前で、甲州街道から新宿地上駅に入る。

今の新宿南口と甲州街道。

京王線が三丁目まで走っていた時代の地図で、後に新宿西口に京王新宿駅ができた。
昭和5年東京日日新聞付録。東京市外地図。


デハ2150形 1961.8.31 笹塚  先輩のアルバムより。
印画紙プリント写真がよい感じです。

デハ2150形 下高井戸 1962.12.7


2017年10月8日日曜日

東北本線 仙台駅前

市電が走る仙台駅前。 1964.7.30  先輩のアルバムより

私が訪問したのは上の写真の一週間後であった。仙台市電の撮影に夢中になり仙台駅は1枚も撮ってなく全く記憶にないが、この時の仙台駅はこんなだったのだ。

東京オリンピック開催の年、活気溢れる仙台の街。 左手が仙台駅前   1964.08.08

市電が行き交う駅前の賑わい。市電も沢山の客が乗っている。

以下は当時の市電通りの街並みです。
片平一丁目検察庁前

東北本線を越える花京院~小田原一丁目と思ったのですが、片平一丁目検察庁前近くのようです。のんびりと電車と車と自転車が走る。ミゼットの小さいこと。道路を走る電車と車と自転車のバランスがこんなであった時代、これぞ環境と人に優しい理想の道路ではないだろうか。

ここから仙台駅方面へ向かってみます。
裁判所前~片平一丁目検察庁前。


 裁判所前


仙台の中心部でも道路に全く車がいない。

②系統は仙台駅前の手前で分かれて長町へ向かう。

長町車庫前

2017年9月22日金曜日

草軽電鉄 新軽井沢駅

私が初めて信越線軽井沢駅前で草軽を見たのは昭和38年、その時はすでに廃線3年後で新軽井沢駅はバスの拠点になっていた。構内には無数のボギー貨車が台車を外されて置いてあったが、その頃は情報不足で私には草軽廃線の経緯がよく把握できていなかった。よく分からぬまま新軽井沢駅の構内を撮ったのはオリンパスペンの4枚だけであった。

廃線後の新軽井沢駅  1963.7.21
草軽電鉄の新軽井沢駅がそのままバスターミナルに。1960年4月廃線の3年後で「電車・バスのりば」の看板が「草軽バスのりば」へ書きかえられていた。

以下はオリンパスペンで撮った4枚
駅はバスの施設となり草軽の貨車の車体が残されていた。

新軽井沢駅

その時の信越本線 軽井沢駅

以下は昭和33年 現役時代
新軽井沢駅構内のデキ 1958(S33)年

区間運転のモハ100形 新軽井沢-旧軽井沢 1958(S33)年


2017年9月20日水曜日

写真展 「草軽高原を往く」-北軽井沢・草軽電鉄の時代-

連休明け秋晴れの19日、9月10日~9月24日まで旧草軽電鉄 北軽井沢駅舎で開催中の写真展に行ってきました。草軽電鉄が走った土地の空気を吸いに行く目的もあり、平日の快晴を狙って軽井沢駅からバスでのんびりと北軽井沢へ向かったのでした。

秋晴れの軽井沢

軽井沢駅から北軽井沢までバスで40分ほど、車窓に浅間山を望めたのはこの一瞬のみ。

写真展会場となった旧北軽井沢駅舎。

写真展会場の入口。

駅ごとに纏められた展示パネル。
写真展は長野原町の二度平から小代までの区間約20kmに存在した5つの駅に限定したもので、二度上、栗平、北軽井沢、吾妻、小代の駅がパネルごとに纏められていました。

先人のカメラアイの素晴らしさと、小林さんの組写真の纏め方と説明文には唸りました。これほど感銘を受けた写真展は初めてです。
単品並べた写真展と違うのは、主催者小林隆則さんの草軽電鉄と草軽が走った土地への想いと拘りで、草軽電鉄に的を絞ったこれまでの奥深い活動を感じました。

展示パネルの纏め方と文章による情景描写にそれが表れていて、あの情景描写の文章を書くまでに一体どれだけの調査や聞き取りなどがあったことでしょうか。中でも2枚のパネルに纏められた小代(こよ)駅の純日本的な農村風景には動けなくなりました。

是非とも東京の大きな会場でも開催して戴き、多くの人に鉄道写真(情景描写)のインパクトを広められたらと思います。


2017年9月17日日曜日

鹿島鉄道 小川高校下駅

10年前の2007年春に消えた鹿島鉄道。その6年後2013年に茨城県立小川高校が閉校したのを今日Facebookで知った。あの「かしてつ応援団」の中心として活動した小川高校。鹿島鉄道が消え、その後、小川高校まで消えてしまったとは、なんとも悲しい。

2002年から2007年にかけて、鹿島鉄道の沿線にある中学校や高等学校の生徒会が組織し鹿島鉄道の存続運動を展開した「かしてつ応援団(鹿島鉄道沿線中高生徒会連絡会)」の中心として活動した。
2010年度より募集停止、2012年度末閉校→茨城県立中央高等学校に併合が決定しており、2013年3月に最後の卒業生を送り出し閉校した。wikipediaより

最終日の記念切符
廃線前に通った小川高校下駅はこんな感じであった。2007年3月

廃線して12日が経った錆びたレールと使われなくなった駅。2007年4月

小川高校下駅に向かう道。2007年4月

廃線後も残る「かしてつ応援」のペイント。2007年4月

鉄道が無くなり、並走する道路のバス停「小川高校下」で待つ高校生たち。この頃はまだiPhone、スマホが普及していない時代であった。2007年4月


線路際の田んぼにキジが舞っていた。

霞ヶ浦を行く鹿島鉄道。桃浦-小川高校下  2007年3月

2017年9月1日金曜日

駿遠線の客車

今年5月にアップしたものの、つまらなぬものと思い引っ込めた車両写真集です。消去しようと思いましたが再度アッブしてみます。

駿遠線の客車の車両写真をランダムにアップしてみます。1967年7月9日撮影だけでもこれだけ、巨大軽便 総勢45両(客車)のほんの一部に過ぎません。車両写真の羅列は興味半減ですが敢えてやってみました。これらの客車が沿線住民にどう利用されたのか、活きた場面が最も関心あるところです。

ハ3 袋井工場 1967.7.9

 ハ115  ↑
 ハ19
 ハ2
 ハ106
  同時期撮影でこれとは別のハ106(バス窓ではない)がいる.駿遠線にはよくあること.
ハ107
 ハ103
 ハ10
 ハ9
ハ20
ハ28
ハ13 新藤枝