案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年9月22日金曜日

草軽電鉄 新軽井沢駅

私が初めて信越線軽井沢駅前で草軽を見たのは昭和38年、その時はすでに廃線3年後で新軽井沢駅はバスの拠点になっていた。構内には無数のボギー貨車が台車を外されて置いてあったが、その頃は情報不足で私には草軽廃線の経緯がよく把握できていなかった。よく分からぬまま新軽井沢駅の構内を撮ったのはオリンパスペンの4枚だけであった。

廃線後の新軽井沢駅  1963.7.21
草軽電鉄の新軽井沢駅がそのままバスターミナルに。1960年4月廃線の3年後で「電車・バスのりば」の看板が「草軽バスのりば」へ書きかえられていた。

以下はオリンパスペンで撮った4枚
駅はバスの施設となり草軽の貨車の車体が残されていた。

新軽井沢駅

その時の信越本線 軽井沢駅

以下は昭和33年 現役時代
新軽井沢駅構内のデキ 1958(S33)年

区間運転のモハ100形 新軽井沢-旧軽井沢 1958(S33)年


8 件のコメント:

ねこあたま さんのコメント...

ナローじゃなくて国鉄の車両が入線できる規格だったらどうなったのでしょうね?
案外買収されて残っていたりして。

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
草軽が走った沿線は昔からリゾートと観光地帯、地方都市の近郊とは違って沿線人口が少なく、ナロー、3’6’’ゲージに関らず鉄道は成り立たなかったことでしょう。とっくの昔にマイカーで行くところになり、鉄道利用者は現地でバスでめぐる時代になり、今年からは渋谷マークシティから北軽井沢/草津温泉直行のバスが開通しました。便利さと引き換えにその土地の情緒が失われているのではないでしょうか。

置き猫 さんのコメント...

鉄道として成立しそうなのは吾妻線から草津温泉くらいまででしょう。それでもこの区間は
約10kmに500m以上の高低差があるので平均勾配5%以上でよじ登る国道292号線と比べて
かなりの大迂回を強いられる事になると思われ、時間的にも不利。最短ルートで建設しようと
すると横軽みたいな線形になります。(笑)
また大前方面へは路線を伸ばさず枝線として開通していたとしても早晩廃止されていたのでは
ないでしょうか。


そして路線名も吾妻線から草津線に・・・あれ?

katsu さんのコメント...

置き猫さん
JR吾妻線と草津温泉との位置関係を改めて調べてみると、
草津温泉が鉄道から離れたこんな奥地にあるとは知りませんでした。
草津温泉へ行く客の殆どはクルマなんでしょう。

置き猫 さんのコメント...

草津温泉は自家用車利用もあるのですが、土地が手狭で駐車場が限られている事情もあり
バス利用も需要は高いです。高速バスのほか長野原草津口駅からJRバス志賀草津高原線が
おおむね1時間1本で運行していて、特急列車接続の臨時便もあり利用客は多いようです。
バス路線自体の歴史も古く1935年開業、草軽電鉄の同区間開業から十年も経たない時期で、
古くからの競合路線が現在まで残る形になってます。

katsu さんのコメント...

置き猫さん
クルマ=自家用車とバスのつもりでクルマと書いたのですが、やはりバス利用も多いですか。
この一帯から草軽沿線にかけて昔からバス路線が発達しているのは観光地があるせいなんでしょうね。
地方の鉄道は観光客向けバスにはとても対抗できないでしょう。
そうなると観光客向け高原列車の楽しみなんてあり得ないのでしょう。
よくあるのは貨車改造のトロッコ列車で実に情けない。

Cedar さんのコメント...

新軽井沢の駅、いいですね。木造建築とモダンな部分が絶妙に組み合わされていて痺れます。
地方私鉄のこういう駅舎めぐりが楽しかった時代が懐かしいです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
新軽井沢の駅舎は立派ですね。
地方私鉄の始発駅でこんな立派な駅舎は見たことがありません。
軽便でもこんな栄えた時代があったのですね。
地方私鉄の駅舎は個性があって面白ですね。