案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年1月18日土曜日

曇天の加賀平野

 

北陸鉄道山代線 新動橋-庄 1964.12.29



小さな停留場 庄


左に庄の駅が見える.


庄の拡大


写真は庄近辺で、粟津線(廃線)が分岐していた宇和野駅はこの2つ先となる.


国鉄と接続していた新動橋駅.


6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

自分がこのシーンの中にいたことがある~そんな気持ちにさせる味わい深いお写真ですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ありがとうございます。この単調な風景を一変させてくれたのは急に雨が降り出しそうな曇天の空でした。行く手の光る山並に向かって走ってく行く温泉電軌。

代打・山本 さんのコメント...

庄の駅舎(待合室)の写真は初めて見ました。この辺りは廃線後に水田に復され、痕跡が残っていません。

katsu さんのコメント...

代打・山本さん
庄の駅が左端に写っていたもう一枚があるので再スキャンして掲載してみました。

北鉄ノスタル爺 さんのコメント...

私も庄駅とはっきりわかる画像を見るのは初めてです。
書名は失念しましたが、郷土の昭和史写真集で庄駅の最晩年と思われる物(モハ1813の正面窓が不揃いになっています) が載っているのと、ビコムから出ていたビデオで、おそらくは庄付近ではないかと思われる動画がありましたが、不確実でした。
本当に、田圃の中の小停留所だったのですね。あの頃は普通だったと思いますが、雨でも降ろうものならぬかるんだ小道を歩いて駅に向かったのでしょう。
1964年ですと文中にあるように、宇和野から新粟津への粟津線は廃止されていますね。
この時はどの辺りまでを歩かれたのでしょうか?
懐かしさから、またまた長文にて失礼いたしました。

katsu さんのコメント...

北鉄ノスタル爺さん
ここを訪問した時は山代から電車に乗って新動橋まで行き、そこから歩いて動橋~庄駅間を撮影しました。その後、北陸本線動橋の反対側から出ていた片山津線を撮り新小松駅前で宿泊でした。翌日が尾小屋、その翌日が北陸鉄道金沢周辺と集中的に撮った収穫多い3日間でした。