案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年7月29日土曜日

最近の再スキャンより 法勝寺電鉄

米子の日ノ丸自動車法勝寺電鉄。1962年の夏
一時期だけ facebookに投稿したものです。

片上鉄道の後は岡山周辺の小私鉄を訪問し翌々日の夜に広島に到着。広島23:55発の米子行夜行準急「ちどり2号」に乗って米子へ向かった。当時は「ちどり2号」があの木次線出雲坂根のスイッチバックを通過するなど知る由もなく、車中で熟睡し早朝6:12に米子到着した。米子駅の外れで爽やかな朝日を浴びて美しい電車が発車を待っていた。
今開催中の江上英樹さんの「木次線・出雲坂根を盛り上げるスイッチバック展」東京版を見てきました。
撮影:1962.7.31



朝の日ノ丸自動車 法勝寺電鉄。


木次線出雲坂根のスイッチバックをレイアウトで再現。
江上さんの解説とレイアウトの運転で、木次線出雲坂根のスイッチバックの紹介が40分ほど。日本一スイッチバックを愛する男の木次線を何とか存続させたい想いの活動スイッチバック展(東京版)。8月13日まで開催中。

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

夜行ちどり、法勝寺電鉄、どちらも間に合っていませんし、今となっては存在したことすら夢のような感じがします。それだけ時代が変わってしまったんですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
確かに時代が大きく変わりましたね。
この古典電車が走る路線もこの5年後1967年5月に廃線となり、
その末期は美しいツートンカラーが変なカラーに変わってしまいました。
それも時代の変わり目だったと思います。
夜行「ちどり」は愉快な列車で今旧型で走らせれば乗りに来る人がいるのではないでしょうか。
何よりも豪華な夜行列車になると思います。