案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年9月17日金曜日

大江山の麓 加悦駅

9月20日発売のTMS10月号 連載第28回は「大江山の麓 加悦駅」加悦鉄道です。


大江山を望む加悦駅。1962.7.31





以下は誌面には掲載していませんが丹後山田駅の風景です。


宮津線の列車が到着するまでひと気のない加悦鉄道線のりば。


宮津線のC51が牽くローカル列車


貨物専用線で活躍していた4号機。


丹後山田(現与謝野)駅の風景

2 件のコメント:

一読者 さんのコメント...

加悦鉄道SL広場は無くなりましたが、つい最近まで、此処に写っている車両たちは保存されていました。保存後の姿しか見たことはないわけですが、まだ、ニッケル輸送があった時代だと、ぜんぜん違う活気があったのでしょうねえ。

katsu さんのコメント...

読者さん
コメントありがとうございます。
車両は現役時代含めて殆どが保存されていたようですね。
今は閉鎖により各所に車両が移転されているようで残念です。

ニッケル鉱石の輸送は遠い昔S20年に停止で鉱石輸送時代の写真は殆ど見たことがありません。
訪問した1962年は海辺の精錬所からニッケル製品を搬出していた時代で蒸機がまだ現役でした。
鉱山の活気とは別に、加悦鉄道らしい車両の活気は1962年のキハ51入線を境にして次第に衰退し別世界になってしまった感があります。