案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年8月16日日曜日

1枚の写真から 1963年横浜

撮影:田辺多知夫氏
横浜市電 保土ヶ谷橋 1963.12.18
国道1号線を行く市電と丸いバス。この1枚の写真(1963年横浜)からスタジオジブリの映画「コクリコ坂から 1963年5月、横浜」 のことが思い出されます。

使用許可されたスタジオジブリのコクリコ坂画像50枚より
1963年の横浜風景。
桜木町駅前

架空の「西の橋」電停


↓ 企画・脚本 宮崎駿さんのメッセージ一部。「コクリコ坂から」公式サイトより 2011年夏
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「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。団塊の世代が現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。新しい時代の幕明けであり、何かが失われようとしている時代でもある。とはいえ、映画は時代を描くのではない。
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宮崎駿さんがイメージした1963年頃の横浜にはこんな風景があった。
以下は田辺さんが撮った1963年横浜から。

 

横須賀線/東海道線 保土ヶ谷-戸塚 1963.12.18
高台に団地ができ始めた頃か起伏ある沿線に住宅はまだ少ない。
横須賀線で悲惨な鶴見事故があった1ヵ月後。

横浜市電の横浜駅前 1963.7.30

市電が走る市内風景1963.11.1

杉田の民家. 1963.5.3  撮影:風間

横浜高島町の高島駅(貨物)の一角にあった横浜機関区 1963.7.30
ここでC56とハチロクが自由に撮れた。田辺さんも私も同じでその殆どが機関車のドアップで周辺を写し込んだ写真は少ない。私はこの年ここで初めてC56の実車を見て感激し周りの風景などには全く目が向かなかった。

蒸機からDD13へ移行中の時代. 1963.5.3  撮影:風間

横浜機関区

9 件のコメント:

にぶろく さんのコメント...

SL末期にぎりぎり間に合った年代としては
横浜機関区に入換用としてC56が配置されていたのは
不思議でなりません。
全国でもC56を入換専用に使っていたのは
ここだけだったのでは?

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
確かに入換用として動いていたC56は私も見かけませんでした。
テンダー機でもっと大きいC50や86は各所で入換えで働いていました。
C56は後方視界が良いのでもっと大所帯ならば入替で使われたかも知れません。

モハメイドペーパー さんのコメント...

 機関庫の右端に見えるのは暖房車のようですね。ここの配置ではないと思うので、オフシーズンの疎開なのでしょうか。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
私も暖房車が何でこんなところにいるのかと思いました。

Cedar さんのコメント...

7番の500形の写真が良いです、中央市場までの単線区間は早く廃止されてるので貴重ですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
単線区間、言われてみるとその通りですね。
気がつきませんでした。
7系統の神奈川会館前-中央市場間が1966年に廃止されたんですね。

匿名 さんのコメント...

はじめまして、横須賀線の画像の団地は、国鉄アパートです。住んでいました、懐かしいです。

katsu さんのコメント...

匿名さん
はじめまして、そうでしたかあの団地に住んでいらしたのですか。
写真を見た時に高台の上の白い建物にいかにもこの時代らしい感じがしたものです。
特急「あさかぜ」がこの高台下にもっと接近した時の写真があったので探してみます。

G20 さんのコメント...

katsu様、あさかぜの画像、ありがとうございました。