案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年3月6日水曜日

雄勝線名物あぐりこ駅のこと

昨日のコメント欄にありました「あぐりこ駅」のことを調べみました。

あぐりこ駅で朝の一番下り電車を待っている女の子達。アカ抜けたよそ行きの服装をした女の子達は朝早くどこへお出かけなのでしょうか。

あぐりこ駅で思い出したのが、鉄道模型趣味92号 昭和31年3月号の「電車訪ねて第53回」 にあったこの記事です。

雄勝線名物あぐりこ駅
当線が全国で長野駅に次ぐ神殿造りと自慢するのが此のあぐりこ駅です。朱色一色に塗られたお宮型の駅舎は、小さいながらも異色ある存在と云えるでしょう。
あぐりことは、当線沿線の雄勝郡三輪村地内にある稲荷神社に祭られた、幻の女狐 “阿久利子"から発した名称で、この “阿久利子"は、其のむかし、村に大いに尽くしたと云われております。部落の名と共に駅名もこれから生まれたわけです。以前の駅舎は普通の平屋の駅舎でしたが、突風によって崩壊し、その後、その名にちなんだ神殿造りにしたそうです。

年に二回、このあぐりこ稲荷神社のお祭りに集まる人々は、近くは福島・山形から遠く北海道に及び、その人出は3, 4万を数えるとか。この時こそ雄勝線の掻き入れ時なのでしょう。話して下さる西馬音内庫区長の工藤氏はニコニコ顔でした。  
                              以上
                      


        
当時から鉄道誌の地方私鉄といえば青木栄一氏流の車両調査の報告や紹介が主体でしたが、鉄道模型趣味誌の「電車をたずねて」や「海辺の小私鉄を訪ねる」などの実物記事では車両紹介だけでなく、ローカルカラー豊かなほのぼの記事で現地のイメージが目に浮かんだものです。

8 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

しばらくご無沙汰のうちに、こんな魅力的な記事がUpされてたんですね。
ここも結局間に合わなかった線区ですが、以前NHKの新日本紀行でこの沿線が紹介されたときに、電車が出てきたのを鮮明に覚えています。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
おかえりなさい。
南の国では大収穫だったようですね。

NHK新日本紀行は何回か再放送されたようで私も深夜に見たことがあります。
カラーでそれはそれは強烈な印象でしたね。
雄勝線はポール電車でも気動車でもその情景がとても模型的で、
私はすぐモジュール情景を想像してしまいます。

にぶろく さんのコメント...

阿久利子の伝承が駅名になるなんて
さすが東北です。
県は違いますが「遠野物語」の世界ですね。

ところで写真は1971年という事ですが
女の子がみんなミニのワンピースを着ています。
田舎なのに垢ぬけているような。。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
写真の女の子、私も気がつきました。
周辺には何もないような1971年の片田舎の駅に現れたアカ抜けた服装の子供たち。
クツなどピッカピッカに見えます。
いかにも幻の女狐"阿久利子"の土地らしくて幻想的な写真だと思います。
よいところを撮ったものですね。
このような光景を情景模型の題材に取り上げると、
雄勝線の模型のイメージがどんどん膨らんできます。

にぶろく さんのコメント...

こういう風土から秋田美人は生まれるのですかねぇ。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
秋田美人といえば乗客の若い女性に美人が多かった。
私の先入観のせいか、まだうぶな青二才だったせいか。
遠い昔の雄勝線の記憶が今も残ります。

にぶろく さんのコメント...

同様の経験があります(笑)
初めて秋田に行ったのは大学生の頃。
秋田中央交通廃線跡と仁別の森林軌道跡を訪問後、
秋田駅まで乗ったバスの乗客の女子中高生が
やたら美人だった印象があります。
まだ彼女もいない青二才だったせいかも…

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
私とよく似た遠い昔の体験ですね。